7月27日(土)ミニナインの会
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ズームを使ってミニナインの会を開きます。
オンラインです。
テーマは、「自死遺族と教会」
参加無料、自由な分かち合いをします。
いつも十人前後になります。
まだ申し込みできますよ。
希望者は、お問合せダイアログからどうぞ
URLを送ります。
クリスチャン自死遺族のコミュニティ
「泣くのに時があり、笑うのに時がある。嘆くのに
時があり、踊るのに時がある」伝道者3章4節
2014年発足
津島美知子と言っても、
知らない人が多いだろう。
津島修治の妻と言ってもまだわからない。
筆名太宰治の妻と言えば、どうだろう。
彼女が『回想の太宰治』を著している。
新婚の頃、小説の口述筆記をして夫を支えた。
夫の死後は、遺された3人の子をひとりで育てた。
その一人が、作家の津島祐子である。
自死遺族として世を去った夫を
語る手記を、読みはじめた。
妻しか語れない太宰の素顔が描かれている。
まだ半分しか読んでいないが、
夫を自死で失った遺族の手記とは思えない
ほど悲しみが見られない。
むしろ楽しそうに書いている。
未亡人の手記は悲しいはずだという
思い込みが自分にあるのかも知れない。
太宰治を父に持つ作家の津島佑子が、
父について著書で語っている。
一歳の時に父を亡くした。記憶は一切ない。
母から聞いたことと、自分で調べたこと
しか知らない。
「父についても、どうか、だれにも聞かれないように、
といつも願っていました。
父はいませんと言えば、それはなぜ、とひとは聞きます。
事故で死んだ、と答えれば、なんの事故、とさらに聞かれます。
そうなると返事に困ってしまいます。」
遺族で、この言葉に共感する人は多いだろう。
遺族の自助グループに出たとは言っていない。
そんなものはなかったのだろう
津島祐子(太宰治の次女)『山のある家 井戸のある家』
一方、やはり太宰治の子どもだが、正式な妻ではない
静子から生まれた太田治子氏による記録もある。
『明るい方へ 父 太宰治と母 太田静子』
治子が数ヶ月の時に、太宰は亡くなっている。もちろん記憶はない。
しかし、母と父のことをこれでもかという
くらいに書きすぎていて、わたくし的にはいただけない。
おそらく、「書けば売れる」という編集者の勧めもあったろう。
太宰の熱狂的ファンは必ず読むから。
津島さんのように、言いずらいことをよく言ったな
くらいの方に親近感を抱く。
記録の読み方は色々あるだろうが、
一つは、同じ遺族という立場でも、
受け取り方は人ぞれぞれということになる。
どちらが正しいということはない。
講師プロフェール
1958年8月兵庫県姫路市生。
大阪市立大学院(社会福祉学専攻)を経て、
英国カーディフ大学「難病児親の会」
の研究で博士号。
約30年間自助グループの研究をし、
1994年にボークマン博士に出会って以来、
いろいろな形で研究上の指導を受けてきた。
ボークマン博士との共著論文として2011年に
『ソーシャルワーク研究』37巻3号で発表した
「セルフヘルプグループとセルフヘルプ・サポーター
そしてソーシャルワーク:自死遺族『本人の会』
の事例を用いた理論的考察」がある。
また2013年に英国の出版社が出した
「苦しみの理解」という本に含まれた
「グリーフ・イズ・ラブ(悲しみは愛):
自死遺族の自助グループからグリーフを理解する」
という英語論文がある。
当フォーラムでは2009年より
毎回登壇して頂いています。
小冊子「遺されたあなたのために一家族の
自死のあとで」(ティム・ジャクソン)を
9年前にデイリーブレッド社から発行し、
その翻訳作業に携わったが、
その改訂第3版をこの夏8月に出すことに
なり、内容を大幅に見直した。
全般的に言い回しを見直したが統計数値も
一新した。
著者がアメリカ人であるため、
あちら目線での統計値が
多かったが、邦訳は日本人向けなので、
日本人目線の統計に置き換えた。
その一部を引用してみたい。
「1998年から2011年まで日本の自死者は
3万人台を数えていましたが、19年に2万人
強まで減少し、そのあと2万1千人台を続けて
います。 22年では男性は女性の約2.1倍でした。」
これはすでに周知されている。
新たに知ったのは、以下の事だった。
「日本で自死率が最も高いのは五十代です。
また十~二十代では自死が死因の第一位です。」
日本では十数年前より自死者が減っているが、
目を外国に転じると太平洋の向こうの米国は、
ここ数年間毎年5万人前後の数になっている。
G7先進国の中では自死率(10万人あたりの数)
最高が日本である。範囲を世界に広げると、
自死率の最も高いのはお隣の韓国ついでリト
アニアになる。正直に言うと私はリトアニアが
どこにあるのか知らなかった。ラトビア、ポ
ーランド、ベラルーシなどの隣国で、バルト
三国の中では最も南にある。
韓国とリトアニアがなぜ高いのかは分からない。
世界全体で見れば毎年約七十万人ほどの新た
な自死者がおりその数倍にあたる数百万人の
自死遺族が新たに生まれるという現実がある。
そのうちで私が個人的に知り得たのはほんの
わずかだ。誰もが「こんな悲しい思いをして
いるのは自分だけ」と感じるのは無理もない
ことなのだが・・・。
今年もほぼ三分の一を終えようとしているが
今まで知り合えなかった方々と新たに出会い
また支え合いたい。
2023年の小中高生の自殺者数が513人に上り、
過去最多だった前年(514人)から高止まり
していることが29日、警察庁の自殺統計(確定値)
に基づく厚生労働省のまとめで分かった。
新型コロナウイルス禍の影響とみられる。
全体は2万1837人(前年比44人減)。
女性は6975人(160人減)で4年ぶり減、
男性は1万4862人(116人増)で2年連続増だった。
小中高生の内訳は小学生13人、中学生153人、
高校生347人。厚労省自殺対策推進室は「危機的な
状況が続いている」としている。年代別は50代が
4194人(101人増)で最多だった。
人口10万人当たりの自殺者数(自殺死亡率)は
0.1人増の17.6人。都道府県別で高かったのは、
山梨(26.8人)、和歌山(24.8人)、岩手(22.4人)など。
自殺の原因・動機は、健康問題が1万2403人で最多。
他は経済・生活問題5181人、家庭問題4708人、
勤務問題2875人と続いた。
東日本大震災に関連した自殺者は4人で、前年より2人増。
地域別では岩手が3人、宮城が1人だった。〔共同〕
私は不平をぶちまけ、
たましいの苦しみのうちに私は語ろう。
やまなみ(長野県の自死遺族会)には、 子どもをなくした親が多い。 世話人が子どもをな くしているからだろうか。 一方、伴侶、親、兄弟をなくし た方々は比較的少ない。 しかし、他県のグループでは、 伴侶または親をなくした方々 が世話人をしているところも 珍しくない。 それで、他の地方に行くと立場 の違う方々とも知り合える。
「親をなくす」と一言で言うけれ
ども、物心も付かないうちに親を
亡くした方、十代で親と別れた方、
中年でなくす方では、また経験が
違う。児童だとどのように親がな
くなったのかを知らされないか、
またはその場限りの偽りの病名を
聞かされることもあるらしい。中
には、同時にふた親をなくされた
方も居る。 ある本で、十代の学生
時代に父 親を自死でなくした方の
凄絶な体 験を読んだが、自分がそ
の立場な ら、果たして青春時代を
生き延び られたか分からないと思
った。 子どもをなくした親でも、
ひと りっ子をなくした親と他にも
子ど もがいる親とではまた違う。
それは他県の世話人さんから聞かさ
れたことだが、言われてみればその
とおりだ。
そういえば、私の話を最初に聞
いて下さった他県の自死遺族のお
父さんは、それこそひとりっ子を
なくしておられた。よく聞いて下
さったものだと思う。
分かち合いのグループを決める
のに、司会者は、立場の同じ人同
士が話せるようにグループ分けを
考える事が多いし、それはそれで
理由のあることだ。しかし、立場
が同じだから、分かり合えるもの
だと安易に思わない方がいいのか
も知れない。
第一、同じ子どもをなくした夫
婦でも悲しみ方は同じではない。
自分と同じか違うかは、どうで
もよい。自分が今ここで話したい
ことを話し、ここでしか聞けない
人の話に耳を傾ける心の用意こそ
が大事なのだと胸に刻んでいる。
賜物といえば、現代では、音楽、絵画、
スポーツ、作詞、作曲などの賜物(才能)が目を引く。
聖書時代にもこれらのものはあったはずだが。
それはそれとして、この箇所から思った。
「賜物も、恵みなのだ」と。
上手に賜物を使う人を見て、
「自分にはない賜物だ」と
自虐的に言う人がいる。
どんな賜物でも神様からの恵みなので、
自分にだってあるはず。
「それぞれが賜物を受けている」とある。
「神が備えてくださる力によって、
ふさわしく奉仕しなさい」(同11節)
能力も賜物ならば、それを使う力も上からのもの。
何でもいい。神にいただいたものを、
神の栄光のために使う。
そうすれば、神があがめられる(同11節)。
心にも充実感を得る。
生活に役立つかどうかは、二の次。
深く悲しむことは
忘れるためではありません。
悲しむことは私たちを癒し、苦痛とともに
ではなく、愛とともに記憶しておくことを
可能にしてくれます。
それは回復の過程です。
ひとつ、ひとつ、失われたものを
往くにまかせ悼むのです。
ひとつ、ひとつ、あなたという人間の
一部となっていたものをつかまえ、
そこから再出発するのです。
レイチェル・ナオミ・リーメン
「祖父の恵み」
中央公論新社
癒されるための分かち合いで
かえって傷つくこともないわけではない。
一つの理由は要らない助言をされた時
ではないだろうか。
分かち合いのルールで、
「同じ遺族とは言え、
想いは全く同じではありません。
互いへの思いやりをもって
分かち合いましょう」と唱和する。
私も絶えず 自分を戒める
必要がある。
「こうしたらいい、ああしたらいい」と
ついつい言いたくなる。
しかし癒しの方法は、各自が
見つけていくもの。
Aさんによかったものが
Bさんにも効く保証はない。
自分にも必ず生きていく道はあると信じる。
その道を探す同伴者として
分かち合いはあると思っている。
他人の悲しみを見て
悲しくならずにいられようか
他人のなげきを見て
やさしい慰めを探さずにいられようか
ひとが涙をこぼすのを見て
いっしょに悲しく感じないのか
父親が子供の泣くのを見て
胸がいっぱいにならぬだろうか
母親がおさなごのうめきや恐れを聞き
じっとすわっていられようか
いやいや そんなこと あり得ない
決して決して あり得ない
すべての上にほほえみ給う神様が
みそさざいの小さい悲しみを聞き
小鳥のうれいやなげきを聞き
幼子のかなしみを聞き
それらの胸に憐れみをそそぎつつ
巣のそばに立たなくていられようか
おさない涙にもらい泣きしつつ
ねどこのそばにすわらずにいられようか
夜もひるもすわり われらの涙を
ぬぐって下さらなくていられようか
いやいや そんなこと あり得ない
決して決して あり得ない
神様は喜びをすべての人に分けて下さる
神様はおさなごとなられた
神様は悲しみの人となられた
神様はおさなごの悲しみを感じられる
お前がためいきをつくとき
神様がそばにいらっしゃらないと思うな
お前が涙をながすとき
お前を創られた方がそばにいらっしゃらないと思うな
ああ、神様は喜びをわれらにわけ与え
われらの悲しみを打ち破らんとし給う
われらの悲しみが一つでも残るあいだ
神様がわれらのそばでなげき給う
『ブレイク詩集』
「自死と教会』キリスト新聞社より
『父の自死とそれからの私』
アルバート・シー
そもそも医者自身が分かっていない。
「飲んでもらわなければ分からない」
と言うのが本音なのだろうが、
患者の前でそう言う医師はいないだろうな。
著者の夏苅郁子さんの母親は
統合失調症で、父親と離婚した。
子供時代は、毎晩おかずが同じ。
ご自分が重いうつになり、
医学生時代に未遂事件を二度起こした。
多くの優しい人との貴重な出会い
を得て回復した後に、
結婚して児童精神科医となり
夫も精神科医として開業している。
精神科医療の七つの不思議な実態を
患者の家族、当事者、医師としての
三つの顔で、「病院では聞けない話、
診察室では見えない姿」を語る。
「精神医療は、いまだに病気の原因を見つけていない。だから『不思議』が生まれる」
薬には医師の処方とは別に、人薬と時薬が必要だ。
日本中行ったところがないほど多くの講演依頼に応じている
ライフサイエンス社 221ページ 1500円プラス税
同じライフサイエンス出版からは、
「人は、人を浴びて人になる」も上梓している。
207ページ 1500円プラス税
治療(といってもいいのかな)が
精神医療の分野で始まっている。
フィンランド発の方法らしい。
開かれた対話、対話を開く。
著者の森川さんは精神科医なのだが、
日本の精神医療の現実に行き詰まりを覚えて
わざわざフィンランドに
オープンダイアローグを学びにいく。
学びにというより、体験しに行った。
そして自分との対話に目覚めていく。
父や母とそして妹とも本当の
対話をして来なかったのだと気づく。
自分が対話ができなければ
人にも対話を促せない。
医師が患者を診て
診断し薬を出すのではない。
悩み、困難、困りごとを参加者が
輪になって対話して解決を探っていく。
その輪に医師が入らないことも多い。
不思議な本。
オープンダイアローグ
これは家庭でも自助グループでも生かせるはず
講談社 現代新書 860円 税別
希望も助けもない状況にある人でさえ
自分の悲劇を
勝利に変える力を秘めている。
涙を恥じることはありません。
その涙は
苦しむ勇気を持っていることの
証なのですから。
苦難と死は人生を無駄にしない。
そもそも苦難と死こそが
人生を意味あるものにする。
ビクトール・E・フランクル
『「生きる意味」を求めて』
オーストリア・ウィーン出身の精神科医、心理学者
ユダヤ人であるためナチによる強制収容所へ
著者以外の家族は誰一人生還しなかったという
清水加奈子さんは、若手の精神科医師
今スイスで研修中。
「自死遺族のことも出てくるだろうな」
と思い読み始めるとそのものズバリ。
父親を自死で亡くした二十歳の大学生。
母親は籍が入っていない。
父親は別に家庭があるという複雑系。
初めは患者の女子大学生は口さえ開かず
医師は連れてきた母親とばかり話した。
でも、清水医師は時間をかけて信頼を築き
女子大生に口を開かせられるようになる。
心は薬ではなくやはり人が治すのでしょう。
投薬するばかりが能ではない。
急性期の遺族に助けになりそう。
自助グループが助けになることも書いてある。
時事通信社 1800円プラス税
現代人は天使の声を聴けるのか?
カヤックごと滝つぼに呑み込まれて溺れ死んだ後、
再び地上へ連れ戻されたメアリー。
その “ 死” のあいだに経験したものとは。
事故の前は教会には行くものの
生活はこの世の中に流されていた。
永遠の世界をかいま見た
メアリーは、本気で神様に従う人になる。
著者は整形外科医で、
南カリフォルニア大学医学部脊髄外科の元指導教官。
ワイオミング州ジャクソンホール整形 外科協会の共同設立者。
四六判・256 頁
本体1,600 円+ 税
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世話人の前島からもお分けできます。
送料1冊につき200円かかります。
商品受け取り後、郵便振替にてお支払い。
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神よ、
私に変えることのできないものは、
それを素直に受け容れるような心の平和を!
変えることのできるものは、
それを変える勇気を!
そして変えられるものと
変えられないものとを、
見分ける知恵を!
この私にお与えください。
God
grant me the serenity
to accept the things I cannot change,
the courage to change the things I can;
and the wisdom
to know the difference.
- Niebuhr, Reinhold
(聖パウロ女子修道会HPより)
分かち合いのルールに
「悲しみ比べはしない」と言うものがあります。
なぜか?
悲しみは比べられるものではないからです。
そして、多くの場合、
「自分の悲しみの方があなたの悲しみよりも深い」
と言う主張になります。
比べられた方はたまりません。
「あなたの悲しみは私に比べて大したことがない」
と言う決めつけをされます。
どちらの悲しみが深い浅い、という感覚は
人間としてはありえるでしょう。
しかし、それは主観で、思い込みです。
あえてことばにしないほうがいいというのが、
自助グループの常識です。
本書には、
今年2018年10月27日のナインの会@大阪に参加し、
説教をしてくださる玉田真(まこと)牧師のお母様である
恵美子さんが寄稿しておられる。
ご主人である敬次牧師が還暦を過ぎ、牧師を引退した後に
自ら命を絶たれた前後のことを記されている。
敬次牧師は、中途失明の全盲者であった。
奥様は、全盲者の牧師の働きを支えて来られたのだが、
奥様が家を離れた隙に先立たれてしまった。
奥様は、神様の元へ送れたと平安を得られたようであるが、
その時両親のそばにいなかった息子の真さんにとって
それはどれほどの衝撃であったことか。
真(まこと)牧師は、それでも自死遺族であることを隠さずに
主イエスに仕えるお仕事に忠実に励んでおられる。
10月27日は自死遺族の集いでご本人の口を通してお語り頂く。
ナインの会@大阪(10月27日)を祈りつつ待ちたい。
会場:日本バプテスト大阪教会(天王寺駅より徒歩5分)
午前11時から午後3時まで(昼食持参)
(本書は、会場でも販売します)