ナインの会
       Christian Community of Suicide Survivors

     クリスチャン自死遺族のためのコミュニティ

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スタッフブログ

精神科医 樺沢紫苑が答える 「父をなくしました」(女性)

橋から飛び降りて、生き延びた人(字幕付き)

『深い淵の底から 愛する者の死』

深い淵の底から_0001

本書には、

今年2018年10月27日のナインの会@大阪に参加し、

説教をしてくださる玉田真(まこと)牧師のお母様である

恵美子さんが寄稿しておられる。

ご主人である敬次牧師が還暦を過ぎ、牧師を引退した後に

自ら命を絶たれた前後のことを記されている。

敬次牧師は、中途失明の全盲者であった。

奥様は、全盲者の牧師の働きを支えて来られたのだが、

奥様が家を離れた隙に先立たれてしまった。

奥様は、神様の元へ送れたと平安を得られたようであるが、

その時両親のそばにいなかった息子の真さんにとって

それはどれほどの衝撃であったことか。

真(まこと)牧師は、それでも自死遺族であることを隠さずに

主イエスに仕えるお仕事に忠実に励んでおられる。

10月27日は自死遺族の集いでご本人の口を通してお語り頂く。

ナインの会@大阪(10月27日)を祈りつつ待ちたい。

会場:日本バプテスト大阪教会(天王寺駅より徒歩5分)

午前11時から午後3時まで(昼食持参)

(本書は、会場でも販売します)

悩ましい質問

ある自死遺族自助グループの世話人さん(ノンクリスチャン)から質問を受けました。

 

分かち合いによく来られる高齢のご婦人がおられる。

その方が毎回のように言うのは、

「娘はね、天国という一番いい所に行ったんだから、私は幸せなの」

ところが、それを聞いている人たちには誰もそういう信仰はなくて、

一般的な日本人である。困惑しているのが、ありあり見える。

天国というものに実感はない。

やり場のない悲しみを、持て余している人も多い。

世話人さんは、80代にもなろうというこのご婦人に、なんとか言わなくては、

と思うのだが、どう言ったら良いものか? というご質問でした。

私の答えは、80代にもなれば、「人の気持ちも考えて発言しましょう」と

言ったところで、おそらく聞く耳を持たないでしょう。

悩ましいですね。 というような情けない返事しかできませんでした。

また、このご婦人はそんなに幸せなら、なんで分かち合いにくる必要があるのかな?

という疑問も湧きました。伝道をしようとしているのでしょうか?

ならば、その意図は良くても、最善の方法とは言えませんね。

 

自分がこの世話人さんの立場に立ったら、何をどう言うのか。悩んでしまいました。

どうかお知恵をお貸しください。

「お問い合わせ」のダイアログからお書き込みください。

書評「遺族外来」大西秀樹著

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「遺族外来 —大切な人を失っても」大西秀樹 河出書房新社
 
埼玉医科大学には「遺族外来」という診察室があるという。
そこで、家族との死別から立ち直れずに悩む人を診察するのが
大西さんの仕事らしい。もう10年の歴史がある。

死別のつらさを説明するのに、
大西さんは本書でご自分の父親との死別から語る。
語り口がとても優しい。
家族を失ってやっと生きている人が話しに来るのだから、
優しくなければ人は口を開かないだろう。

紙面で登場するのは、大西さんの診察を受けた
「患者さん(仮名)」たちで、一話がほぼ5ページ。
この短さが快い。

私の目に留まったのは、
遺族の方々がかけられた言葉で辛かったもののリストである。
 
「お母さん、大往生でしたね」
「〜〜が死んだのは、お前のせいだ」
「がんばってね」
「あなたがしっかりしないとだめ」
「元気?」
「落ち着いた?」
「気持ちの整理つきましたか?」
「元気そうね」
「あなたより大変な人はいるのよ」
「あなたの気持ちはわかります」
 
自死遺族の中でも、このようなことばで励まされるよりも
傷ついたという人がいるのではないか。
喪中にいる人にかける言葉ほど難しいものはない。
本書にも、一人だけ自死遺族が登場する。
 
私も、一時通っていた心療内科の先生に娘に死なれたことを
漏らしたことがあったが、
「まあ、気を取り直して行くしかないね」の一言に、
二の句が告げなかったことがある。

遺族の気持ちそのものを聞くことに力を注いでくれる精神科医は、
貴重な存在だ。
 
 
 
 

Tさんとの出会い

     
 「信徒の友」という雑誌に、自分の半生を紹介する中で、父親を十数年前に自死で失ったことを、さりげなく書いている人がいた。
 その方のお父さんは、中途失明の視覚障害者であり、定年まで立派に勤め上げられたのだが、引退後に家人の留守の間に、遺書を残して生命を絶ってしまった。
 自死遺族であることを隠さずに、あえて書かれた勇気に驚くとともに、その事実とこれまでどのように向き合ってこられたのかをもっと知りたくなった。同じクリスチャンであることも一つの理由だ。連絡先を探し出して、まず電話をさせていただいたが、見ず知らずの人間の話も嫌がらずに聞いてくださった。

 先日は、県内に住むそのTさんという方を夫婦で訪問する機会があった。お忙しい中で、電話では尽くせなかったご家族のことを分かち合ってくださった。今は関西で一人暮らしをしているお母様の書かれた文章が掲載された本もお貸しくださった。
 お母さんは、視覚障害者の妻として結婚以来支えてこられたのだが、「自分は夫の苦しみをわかっているつもりでいたが、今になって実は失明した夫の絶望をよくわかっていなかったのだ」と述懐しておられるのが印象に残った。
 お二人は、自死遺族の分かち合いの会に出たことはなくても、自分なりの悲嘆のやり過ごし方を見つけ出してこられたのだと思われる。

 子どもを失った私たちと、父親を失ったTさん。境遇は違うが、愛するものを失った悲しみに共通するものは少なくない。
 おいそれとは会えない場所にいる方ではあるけれど、同じ自死遺族としてなんらかの形でこれからも支えあうことができたらと思わされた。

「今泣いている人たちは幸いです」

「今泣いている人たちは幸いです。
あなたがたは笑うようになるからです」(ルカ6章21節)


この一節に興味が湧いて、新約聖書に「泣く」「笑う」という動詞が
どれくらい出てくるのか、調べてみた。

「笑う」は、この節にしか出てこない。
一方、「泣く」とその類の動詞は数多い。例えば、


涙を流す(例:「イエスは涙を流された」)
悲しむ
子どものように泣き叫ぶ
泣きわめく
嘆きの歌を唄う
胸を打ちたたいて嘆く
うめく
心を痛める、、、

まだあるかもしれない。

神様は、私たち人間の様々な嘆きに心をとめられるからこそ、
これだけ多種多様な表現で
悲しみを書き留めてくださったのだろうか。

 

PTG(心的外傷後の成長)という考え方

PTSDという用語はよく聞く。

トラウマを経験した後のストレスが生み出す

心的肉体的な不適応のこと。

最近注目されているのが

PTG(心的外傷後の成長)だという。

Post Traumatic Growth

オウム真理教事件の被害者遺族高橋シヅヱ
さんの

インタビュー記事にあったのに目が留まった。

これを聞いて、

私が自死遺族会を開いていて思ってきたことと一致した。


家族を自死で見送る悲しみを通ったことは

マイナス要因にしかならないとみな思うが、

マイナスがゼロになるだけではない。

プラスにさえなる、というのが事実だ。

落ち着いてくると、ここから良いものを探そうという

心の余裕が生まれる。

これは、自死遺族だけではなく、あらゆる悲劇の当事者にも

言えることらしい。

マイナスがマイナスのままに終わってしまう人と、

マイナスがプラスに変わる人とは、何が違うのだろうか?


「苦しみにあう前には、私は迷い出ていました。
しかし今は、あなたのみことばを守ります」
詩篇の119篇67節

「苦しみにあったことは 私にとって幸せでした。
それにより 私はあなたのおきてを学びました」
同上 71節

「球根の中には」賛美歌21より

ナインの会@東京 2月24日に歌った賛美 礼拝を思い返しつつ

自死遺族オカザキマリさんのお話



オカザキさんは、25歳の時にお母さんを自死でなくしました。
カナダ在住です。
十数年間黙っていたけれど、
自死遺族のグループにファシリテーターとして
出るようになって、治っていたと思っていたPTSDが
まだあることに気づいた。
しかし、話すことが心の癒しにつながったそうです。
信仰の話はしていないので、クリスチャンかどうかは不明。
英語で話しています。
画面右下のボタン(設定)をクリックすると
日本語字幕を選べます。

スー・クレボルドさんの証



 * 画面右下のネジのような部分(設定)を押すと、字幕の日本語を選べます。
   下の翻訳も、内容は同じです。

 大事件の殺人犯の母親ですが、息子の動機は死にたかったことだということを知ったと言う。彼女の助けになったのは、自死遺族のグループだったそうです。

翻訳

私が息子の声を最後に聞いたのは 息子が学校へ向かうため 玄関を出た時でした 暗闇の中で たった一言 こう叫びました 「行ってきます」


1999年4月20日のことでした その日の昼前 コロンバイン高校で 息子ディランと友達のエリックは 生徒12人と先生1人を射殺し 他20人以上を負傷させた後 自らの命を絶ちました 13人の罪のない人々が殺され 彼らの大切な人たちを 深い悲しみと トラウマに突き落としました ケガを負った人々の中には 外見を損ない 永久的な障害を抱えた人もいます しかし この惨事の非道さは 死者や負傷者の数だけで 測れるものではありません あの日 学校にいた人々や 救出や後始末に携わった人々の 精神的ダメージを 数値化する術はないのです コロンバインのような悲劇の影響は 算定できません 特に 事件が青写真となることで 他の銃撃犯が 残虐な事件を起こす可能性が あるからです コロンバイン事件という津波の 衝撃が収まった後も コミュニティーや社会が 受けた影響を把握するのには 長い歳月がかかります


私も息子の罪の遺産を 受け入れるのに何年もかかりました 彼の最期の象徴となってしまった あの残忍な行動は 私が知っていた息子の姿とは 全く違うものでした 事件後 周りから聞かれました 「知らなかったなんて あり得るかしら?」 「母親として何やってたの?」 同じ疑問を私は今も 自分に問いかけています


銃撃事件の前は 自分のことを 良い母親だと思っていました 我が子が 健全で 思いやりと責任感のある 大人になるための 手助けをすることが 自分の人生で 一番重要な役割でした でも あの悲劇が起き 私は親として失格だと確信しました この挫折感が1つの要因となり 本日この場に立っています 父親を別にすれば ディランを最も理解し 愛していたのは この私です あの惨事の前兆に気づく人間が いたとしたら 私しかいませんよね? でも気づきませんでした


本日 私は 傷害や殺人を犯す人間の母親として 経験したことをお伝えしに来ました あの悲劇の後 何年もかけ じっくりと記憶をたどりました 親として どこで失敗したのか はっきりさせようとしたのです でも答えは簡単ではありません 解決策の提案など できません 唯一 私にできるのは 自分の学んだことを 皆さんにお話しすることです


事件前の私を知らない人と話す時 私は 3つの課題に直面します 1つめは このような会場に入ると その中に 息子が犯した罪のために どなたかを亡くした人が いるかもしれないことです 家族の者のせいで生じた苦悩を 加害者本人に代わって 受け止める必要が 私にはあると感じます ですので まずは 心の底からお詫びします 息子のせいで苦痛を抱える皆さん 申し訳ありません


2つめの課題は 息子の死因である自殺について お話しすることで 皆さんに ご理解ばかりか同情までも 求めざるを得ないことです 亡くなる2年前 息子は 自傷行為をおこなっていると ノートに書いていました 苦しみの中で 命を絶つために 銃がほしいと 書いていたのです 亡くなって何ヶ月も経ってから 初めて知りました 息子の死因が自殺だからといって 彼が死の直前に見せた凶悪性を 軽んじるつもりはありません 私は 彼の自殺したいという考えが 殺人へと進んだ過程を 理解したいのです あれこれ読みあさり 専門家と話をした結果 こう信じるようになりました 息子が銃撃事件を起こした根本にあったのは 人を殺す願望ではなく 彼自身の死の願望だったのです


息子の殺人と自殺を語る上での 3つめの課題は これがメンタルヘルスの話だ ということです 失礼― 心の健康状態の話なのですが 私はより明確に「脳の健康状態」と 呼ぶ方が良いと思っています 同時に これは暴力の話です ただでさえ多い 精神病に対する誤解を さらに深めることだけは したくありません 精神病に悩む人のうち 他人に暴力を振るう人の割合は ごくわずかしか ありません しかし自殺で亡くなる人の 約75パーセントから 90パーセント以上は なんらかの診断可能な精神病を 患っています よくご存じのとおり 心のケアにおける既存のシステムは 皆を救うように整ってはおらず 破壊的な思考を持つ人が もれなく ある特定の診断基準に 該当するわけでは ありません 恐怖、怒り、失望感を 常に感じながら 診断も治療も受けていない人が 大勢いるのです 患者の行動が危機に達して初めて 注目されるという場合がほとんどです 自殺の約1~2パーセントが 殺人に絡んでいるという 推定が正しいとすると 一部で実際そうなってきているように 自殺率が上昇すれば 自殺者の殺人率も上がります


私は死の直前にディランが 考えていたことを理解したくて 近しい人を自殺で亡くした人たちに その答えを求めました 調査をしたり 資金調達イベントの ボランティアをしたりしました そして 可能な限り 自殺危機 あるいは自殺未遂の 生存者と 話をしました


その中で もっとも参考になった 1つが ある同僚との会話でした 彼女は私が職場の個室ブースで 別の人と話していたのを たまたま耳にしました 「ディランは 私を愛していなかったからこそ あんなに悲惨な行動ができた」という 私の言葉を聞いた彼女は 後で 私が1人でいるところへ来て 会話を耳にしたことを詫びながら 私の間違いを指摘しました 彼女は若い頃 シングルマザーとして 幼い子3人を育てていた時に 重いうつ病にかかり 身の安全を考慮して入院したそうです その頃 彼女は 「自分が死ねば 子供達はもっと幸せになれる」 と確信し 自ら命を絶つ計画を立てました 彼女は きっぱり言いました 「母親の愛情はこの世で一番強い絆で 私は子供達を世界中の何よりも 愛していた」と それでも彼女は 病気のせいで 自分がいない方が子供達は幸福になれると 思い込んでいたのです


彼女の話や 他の人から私が学んだのは 自殺で死ぬという いわゆる決心や選択は どんな車を運転しようとか 土曜日の夜どこへ行こうとか そういう選択と同じではない ということです 極端な自滅的状態に陥った人 というのは 救急医療でいう ステージ4の状態と同じです 思考が妨げられ 自分で自分を管理する術を失います 計画を立て論理的に行動することが できたとしても 苦痛というフィルターを通して 自分なりに現実を解釈するため 彼らの「真実」の感覚は ゆがんでしまうのです このような状態にいることを 上手に隠せる人もいます 往々にして 隠すだけの理由を抱えています ふと自殺を考えるというのは いくらでも ありますが 長く絶え間ない自殺念慮や 死ぬ手段を考えるというのは 病理学的な症状の表れであり 多くの病気と同じように 命を落とす前に 状態を認識し 治療する必要があります


しかし 息子の死は 単なる自殺ではありません 集団殺人を伴っていました 私は彼の自殺念慮が殺人へと 変わっていった過程が知りたかったのです しかし研究は少なく 簡単に答えが出るわけでもありません 確かに彼は継続的なうつ病を 患っていたのでしょう 彼の完璧主義で 何でも自分で決めたがる性格が まわりに助けを求めにくく していました 学校で 何度か 事件の引き金になるような体験をし その結果 自尊心が傷つけられ 屈辱と怒りを感じていました また ある男の子と 複雑な交友関係にありました 激しい怒りや孤立感を 共有する間柄だったのですが その子は重度の精神障害を持ち 支配的で 殺人的な傾向を表していました このような極度に傷つきやすく 不安定な時期に ディランは 銃を入手する方法を 見つけたのです 我が家では一切 所持していませんでした 17歳の少年が 合法であれ非合法であれ 親の許可どころか 親の知らないうちに ゾッとするほど簡単に 銃を購入できたのです それから17年が経ち 多くの学校で乱射事件が起きたのに なぜか今でも恐ろしいほど簡単です


あの日のディランの行為は 私の心を引き裂きました ご多分に漏れず トラウマが 私の体と心を襲いました 乱射事件の2年後 私は乳がんになり さらに2年後 精神病を患うようになりました 絶え間なく襲ってくる 果てしない悲痛に加え 私はおびえていました ディランに殺された相手の ご家族に遭遇するのではないか マスコミに追われたり 一般の人から お叱りを受けるのではないかと ニュースを見るのが怖くなり 「最悪の親」「最低の人間」と 呼ばれることを恐れました


私はパニック障害を発症しました 初めて発作が起きたのは 事件の4年後 証言録取で尋問を受けるための 準備中で 犠牲者の家族と初対面する という時期でした 次の発作は事件の6年後 ある会議に出席して 初めて公の場で 自殺者の殺人について 話をする準備中でした 2回とも症状は数週間に及びました 発作は場所を選びませんでした ホームセンターでも 職場でも ベッドで本を読んでいる時でさえ 起きました 突然 頭が恐怖の渦に巻き込まれ どんなに頑張って 自分を落ち着かせようとし そこから抜け出す方法を考えても どうにもなりませんでした 私は自分の脳に 殺されるような錯覚に陥り さらに 恐怖の感覚を恐れることで 私の思考は すっかり消耗していました 頭が正常に機能しない状態とは どんな感じか 私はその時 初めて知り 本気で脳の健康を訴える活動を 始めたのです 心理療法、投薬治療 セルフケアにより 周りの状況はさておき どうにか正常といえる生活に 戻りました


一連の出来事を振り返って わかったのですが 息子が機能不全に 陥っていくまでには 約2年という時間が かかっていたようです 助けてやるのに 十分な時間があったわけですが それも誰かが その必要性を察知し 助ける手段を 知っていればの話です


「なぜ気づかなかったの」と 誰かに聞かれるたび みぞおちを殴られたような 感じがします そこには非難のニュアンスがあり どんなにセラピーを受けても 完全に払拭することのできない 私の罪悪感を引き出します でも 私は学びました もし愛情を注ぐだけで 自殺念慮を持つ人が 自らに苦痛を加えることを 阻止できるのだとしたら 自殺は ほとんど なくなるはずです 愛情だけでは足りません 自殺は蔓延しています 10歳から34歳の主な死因の中で 2番目に多いものです アメリカの若者の15%が 過去1年間のうちに 自殺の計画を 立てたことがあると 回答しています 私が学んだのは どんなに可能と信じたくても 愛する人の考えや想いの すべてを知り コントロールするのは 不可能だということです そして 「自分たちは他と違うんだ」とか 「自分の愛する人が 自らや他人に 危害を加えるなんて あり得ない」という 頑固な信念のせいで 私たちは目の前に潜む事実を 見落としてしまう ということです そして 最悪のシナリオが現実となっても 事実を知らず 適切な問いかけができず 適切な治療を探そうとしなかった 自分を 許すことを覚えなくてはいけません 「自分の愛する人は今 苦しんでいるかもしれない」と 常に考えるべきです 本人が何を言おうと どんな行動をとろうと 関係ありません 彼らの叫びを全身で感じ 自分の意見を押しつけず 解決策の提案もせずに 耳を傾けるのです


私は残りの人生を この悲劇と― この折り重なる悲劇と 共に生きていきます 大勢の方の心中をお察しすれば ご遺族が失ったものと 私が失ったものは比較になりません 私が葛藤しても ご遺族の苦しみは和らぎません 私に苦しむ権利はなく 一生をかけて償うより他にないと 思う人さえいることも 承知しています


私にわかっていることは 次のように集約できます 痛ましいほど残念ですが どんなに慎重で責任感の強い人でも 事実 助けられない場合があるのです でも愛情があるのなら 知り得ないことを 知ろうとする努力を 絶対に止めてはいけません


ありがとうございました


(拍手)

子どもの作文

ナインの会に参加している男性が、
娘さんが学校で書いた作文が新聞に掲載されたと教えてくれた。
会での分かち合いを聞いていて心配したこともあったが、
感動をもって読ませていただき、安心した。
先生や編集者の手は入っているのだろうが、書き手の心は
十分に伝わる。

ここではあえてイニシャルにさせていただく。

シングルファーザー応援して
高校生 Oさん(岐阜県 16歳)
 
「母が亡くなり、父はシングルファーザー歴6年だ。
最初のころは、慣れない台所に立って砂糖と塩を間違えたりもした。
しかし、世間の母親たちに負けないくらい仕事と家事の両立に励む父は、
多くの時間と愛情を私に注いでくれていると思う。
でも、シングルマザーに比べて認知度は低い。
地域や国のサポートも十分でないように感じる。
特に娘を持つ父親は、我が子の体や心の発育について
悩むことも多いと思う。
そんな父親たちが集まれるコミュニティーが
もっと増えたら良いと考える。
子育てが多様化している今だからこそ、
シングルファーザーに限らず、全ての父親が集まって
相談しあえる場が必要ではないだろうか。
私が大人になるころ、男女関係なく子育てを
担い地域が支える世の中になっていてほしい。」

休日の電話

地元での自死遺族の自助グループのサイトを運営しているが

そんなに反応があるわけではない。

だから、「ブログを見ました」という電話があると嬉しい。

先日の電話は、めずらしいものだった。

せっぱ詰まった雰囲気がない。

遺族ではないと判断した。
(これは間違っていたことが、後でわかった)

自分の住んでいる地域で最近自死が多い、という。

メディアに流れるからではなく、知り合いなので分かってしまう。

悲劇を減らすために何かをしなければならないのではないか、

地元で活動している自死遺族自助グループとして、何かできないか、

という。

結論を言うと、結局この方も自死遺族であり、ライターとして、

広報の面で遺族の自助グループのために
お役に立ちたい

と言うことなので、これから連携を取ろうと思う。

この方とはまだ顔を合わせてもいないのだが、

すでにお友達になった気がした。

師走のある日

暮れも押し迫った日、地元活字メディアから電話が入った。

自死遺族の分かち合いの会を立ち上げる時に力を貸してくれた

ところでもあるので、向こうからの依頼にも

できるだけ答えたい気持ちがあります。


お話を聞くと、今回は取材というよりも、相談事です。

ある取材を進める際に、自死遺族への取材を避けては通れないことになった。

それで、この種類の取材経験のない人間が心得ておくべきことを

教えて欲しい、と。
謙遜な方です。

それで、8年前自分がメディアに連絡を取り始めた時のことを思い出しました。

それは、アプローチしようとする前に勇気が必要だったこと。

勇気がいるという以上に、むしろ恐怖感があったこと。

それでも、広く告知をする必要から、恐怖を乗り越えて

こちらから記者さんに連絡をしたものです。

しかし、遺族によっては、家族の痛みに

他人からむやみに触れて欲しくない人はいるでしょう。

記者に話をして、得るものは何もない。

逆に傷を受けるかもしれない。

そんなことを話しました。


1時間ほど話をして、お帰りになりました。

「頭が少し整理されました」とおっしゃいました。

仕事とは言え、大変なお仕事だと思います。

話題に上がった遺族に、恐らくわたし自身は会うことはないでしょうが、

同じ県民でもあります。

何かの形で繋がることはできないものかな、とも思いました。

遺族の分かち合い(2)ー日本語字幕付き

Life Journeys: Reclaiming Life After Loss from AFSP on Vimeo.

日本語字幕の出し方

「遺族の分かち合い」のビデオですが、

下の方で、 cc  という 所をクリックして、日本語字幕を選んでください。

画面に日本語が現れます。

遺族の分かち合いーアメリカ自死防止協会(AFSP)制作(日本語字幕付き)

The Journey - A Documentary Produced by AFSP from AFSP on Vimeo.

前島常郎(まえじまつねお)

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全国自死遺族連絡会(田中幸子代表)の全国フォーラムが
2017年9月9日(土)長野市にて初めて開かれました。
参加者は、90名前後。

お馴染みの講師である岡知文先生の講演は、
「自助グループの意義」

秋田や山形から、いじめ自死の家族が4名も見えられ、
まだ記憶に新しいことを切々と語られました。

最後に、私も短く今年の3月に田中さんたちと参加した
シドニーであった自死遺族支援の会議の報告をしました。

添付記事は、信濃毎日新聞(9月10日)です。


関連記事 
http://www.shinmai.co.jp/news/nagano/20170906/KT170904FTI090019000.php

進藤龍也牧師に会う

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来たる2月24日(土)のナインの会@東京に 
講師としておいでくださる
進藤龍也さんにお会いしてきました。

埼玉県川口市に
罪人の友教会 主イエス・キリスト教会を12年前に立ち上げ、
40名程度の礼拝を毎週ささげておられます。

著書は読み、電話では話していましたが、会うのは初めて。
ちょうど先生の携帯が具合が悪くて、連絡がつかずに困る。
交通渋滞などもあり、待ち合わせに遅れられ、
随分と恐縮しておられました。
街頭で待っていた私も、正直、
寒くて辛かったのですが、
「すみませ〜ん」と腰を折って謝られる
先生の姿に、かえって癒されました。
娘さんを自死でなくしておられると伺っていたので、
同じく娘を失った私としても身近な存在です。

多くのメディアでも取り上げられて、広く知られるようになり、
その結果、
川口の教会にくる人が増えただけではなく、
全国の様々なところで教会に行き、
イエス様を信じる人が起きているそうです。

自死遺族のために役だつ書籍をプレゼントさせていただき、
私も先生の著書をいただけました。
寒いに西川口駅前で忍耐した甲斐がありました。

2月のナインの会が、今から楽しみです。

進藤牧師の教会は以下の通り

http://tsumitomojesus.wixsite.com/tsumitomo-honbu

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