次女一家の帰国と再出発
7月中旬から次女家族が1ヶ月間
一時帰国していたが、本日全員米国に発った。
5歳、11歳、14歳の男の子たちとともに。
我が家が3人の娘たちを連れて米国に
留学したのが、三十年も前になる。
その時の我が家の娘たちが2歳、9歳、10歳だった。
その後、次女だけが米国で結婚した。
あちらで暮らしているから
孫は誰も日本語を話さない。
孫たちのおかげで、こちらのリスニングと
スピーキングも上達させられる。
子供は、確かに成長する。
自分も、ともに成長を続けたい。
最後の朝、全員が感謝の祈りを
一言づつ捧げた。
ひとりで悲しまないで(ケイ・ウォレン)
VIDEO
「大きな悲しみから回復するには、ともに悲しむ人が必要です。」
(5分半)
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翻訳は完全ではありませんが、とりあえず意味は通じます
自死と悲嘆についてのQ & A
VIDEO
ケイさんは牧師夫人であり、5年前に20代の息子を失いました。
10年以上希死念慮に悩んだ方でした。
遺族の質問にも答えています。(37分)
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翻訳は完全ではありませんが、とりあえず意味は通じます
初心者が基本
分かち合いは初心者が基本です。
何人が集まろうとも、
「今日が初めて」と言う人が
リラックスして話せるように
前から来ている人が譲ります
初めての人がなんでも話せること
それは自助グループの目的に叶っています
何年も来ている人も、初心者の話を
聞くことで、初心に戻れます。
自助グループは
「仲良しクラブ」ではありません
思い煩い
あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。
神があなたがたのことを心配してくださるからです。
ペテロの手紙 第一 5章7節
「ゆだねる」って言うけど、具体的にどうするのか?
「ゆだねる」の原語は「投げる」とも訳せるそうです。
なんだかゴミでも捨てるみたい。
旧約聖書の詩篇にも似た聖句がある。
「あなたの道を主にゆだねよ。主に信頼せよ。
主が成し遂げてくださる。」 37篇5節
専門家によると、この「ゆだねる」は、原語で
「転がす」(ガラール)だと伺いました。
台車で「ガラガラ」転がすと言うと、日本語でも感じがでる。
もう一つ
「あなたの重荷を主にゆだねよ。主はあなたを支えてくださる。」
55篇22節
この「ゆだねよ」は、「送り出す、移す」だそうです。
ある英語訳(Message)では、ここを
「あなたの悩みを、神様の肩に移しなさい」と訳している。
使徒ペテロも、ダビデ王も、
「神様のみ肩はとてつもなく大きい肩だ」と信じていた。
父なる神は、旧約の王の悩みも初代教会の信者の悩みも、
21世紀の私たちの悩みも思い煩いも、全て背負われる全能の神様。
そう思って、私もちょっと肩の荷を下ろそう。
ゴミを出すと、確かにスッキリしますよね。
キリストのための苦難
キリスト者として苦しみを受けるとは
ペテロやパウロのように
十字架にかけられて殉教することとは
限らない。
庭の雑草を抜くことも
汚れた衣類を洗濯することも
キリストのために
やりたくないことを
あえてやることで
キリストの栄光を表せる。
分かりやすく説明する
「あなたがたのうちにある希望について説明を求める人には
だれにでも、いつでも、弁明できる用意をしていなさい」
ペテロの手紙第一 3章15節
家族を自死で失って、
なお希望を持って生きることは簡単ではない。
でも、そのように生きている人はたくさんいる。
自分は、父として、夫して、キリスト者として、
愛する娘の自死という悲しい出来事の後、
どのようにして生きてきたか。生きているか。
これからどう希望を持って生きていくのか。
「弁明」などと言うよりは、
分かりやすく、合理的に、だれにでも、いつでも
説明できるようにと祈っている。
6月の分かち合い
6月18日の分かち合いは、9名の出席で
10時から正午まで自死遺族だけの集い。
画面では常に対面しているので、
表情も互いによく分かる。
2時間前とは別人のように明るくなった人がいると、
この会の存在意義があると思う。
ー参加者の一言ー
zoomで繋がる私たちの中に、温かいものが流れ込んでくるようで、
「ほーっ」としました。
19日(日)は夜の7時から。8名の出席。
家族を見送って数十年の方から、数週間の方まで。
父の日ということもあり、
私は、24年前に81歳で召天した父の思い出を話した。
家の中では癇癪を破裂させることが多くて、恐怖を
感じた。それなのに、親戚から、特に甥や姪には
「優しいおじちゃんだった」と言われる二面性。
それでも、父にもらった良いものもたくさん数えることが
できる。物惜しみをしないところは、自分も見習いたい。
私自身は、靴を娘と家内からプレゼントしていただいた。
離れている義理の息子からも「おめでとう」とのメール。
ー参加者の一言ー
夫婦・兄妹・姉弟・母娘の思い出話、豊かな分かち合いでした。
それぞれの立場からのお話に、古い記憶が呼び覚まされました。
両親を失った9歳の少女 (日本語字幕付き)
VIDEO
キム・ミーダーさんは 9歳の時、学校で兄弟といっしょに
呼び出され、祖父母の家に連れ帰られた。
そこで聞かされた。
お父さんがお母さんを銃で撃ち、その後自死したと。
仲の良かった(と思っていた)両親が突然に
死んでしまうなどとても信じられなかった。
「ウソだー!」と叫んで、外に飛び出した。
その後、おじいちゃんおばあちゃんの家で育てられた
キムは、仔馬を与えられ、仲良く遊ぶようになる・・・。
キムを救ってくれたのは、仔馬ではなく、イエス様だった。
キム・ミーダーさんの証は19:00で終わります
YouTube 画面から
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ケイさん(息子を失った母)の証(2014年 サドルバック教会にて)
VIDEO
ケイ・ウォレンさんの証
(2014年 国際自死遺族の日大会 会場:サドルバック教会)
先ほど話された方達と同じように、私も身近な人たちの自死にあいました。
25年前、近所の女性が私の家の前に遺書を残しました。
私は、なんとか止めようと必死に駆け回りましたが、無駄に終わりました。
数時間後に彼女の夫が電話をくれて、
彼の目の前で妻がピストルで自死したと教えてくれました。
私は病院に駆けつけて、彼女がなくなるのを見守りました。
3年前ですが、いとこの夫が、立派な牧師だったのですが、
隠れた飲酒を恥じて、納屋で縊死し、妻が遺体を発見しました。
1年半前には、私の息子のマシューが、
20年以上の精神病との戦いと 入院の後に自死してしまいました。
それで、首に多くのビーズをつけています。
先ほどの映像にあったように、
私も自死の後であらゆる種類の感情を味わされました。
圧倒されるような、恐ろしい、悲劇的な悲しみです。
二度と泣き止めないのではないかと思うような悲しみ。
感覚を失い、苦しくて言葉が出て来ない。
突き刺すような、目も眩むような罪責感。
「なぜ?」と暗闇に向かってうめき叫ぶ。
疲れ果てて、口で言葉を出すこともできない。
手足を動かすこともできない。
息子を正しく診断できず、また助けられなかった医療関係者への怒り。
ほとんど愛情を見せてくれなかった治療者への怒り。
自死を止めてくれなかった神への怒り。
家族を見捨てた息子マシューへの怒り。
飲食、夫婦生活、趣味など人生の楽しみを失いました。
世界が色を失い、モノクロ世界になりました。
もう一度、彼を私の腕で抱きたかった。
息子のいない残りの人生を生きなくてはならない。
一年半の間に感じたのはそれだけではありません。
映像にあったように、自分が神のみ手に抱かれていることも感じました。
信仰が癒しに役立ったことも事実です。
信仰が深められました。
これまでずっと真理であると信じてきたことが試されました。
「どうやってマシューの自死を乗り越えてきたのか?」と聞かれれば、
「神様への信仰です」と答えます。
信仰なしに生き延びられたとは思えません。
信仰があってさえ、かろうじて生き延びたのです。
信仰なしには考えられません。
癒しのために役に立ったことを紹介します。
私は目に見えるものに助けられます。
サドルバック教会でも話した事ですが、
「希望の箱」を持っています。
マシューがなくなる前、私の希望や祈りをこの箱に入れていました。
彼がなくなって、彼の癒しを祈った私の希望はついえました。
もう一度希望を見つけなければなりません。
未来について、私の未来、私の家族の未来についての希望を書いて、
箱に入れました。 毎日黙想の時間を持つ場所に、この箱を置いています。
この箱の隣には、もう一つ癒しの役に立つものを置いています。
「神秘の壺」です。
この中には、マシューの死についての疑問を入れています。
「なぜ?」
「なぜ止められなかったの?」
「なぜやめさせられなかったの?」
「なぜあの子は、銃なんか買ったりしたの?」
「引き金を引いた時に家族のことを考えていたの?」
「どうして別の解決が見つけられなかったの?」
恐らく答えのない疑問、 地上では見つからない答えかもしれない。
私が抱き苦しんだ疑問です。 皆ここに書かれています。
箱と壺は、黙想の時間を持つ場所に並んで置かれています。
この二つは、愛する者たちや友人、息子、娘、母親、
父親、友達、同僚などについて
私たち遺族が皆持っている希望や疑問を象徴しています。
このような疑問とともに、
私たちは希望を持つことも学ばなければなりません。
皆さんと同じように、私も再び希望を持つことを学んでいます。
私と家族が、最悪の悲劇を単に生き延びるだけではなく、
元気に生きるためです。
1年半後に小さな希望の緑のタネは、目を出しています。
私はエイズやHIV感染者、孤児などをサポートするボランティア活動を
11年ほどしていました。
マシューの死後1年ほどは、活動をおやすみしていましたが、
今は、心の病を持っている方のために働くことを生きがいにしています。
その活動が、マシューを失った傷を癒してくれます。
その死が決して無駄ではなかった、
新たなタネを蒔くことになる、
埋められたタネから大きな木が育つという希望です。
私たちの話を聞き、マシューを覚え、私たちのために祈ってくださる方々との
信頼を育ててくることができました。
私たちは一人で悲しんできたのではありません。
人を避けては来ませんでした。
皆さんにも役立つことの一つは、人間関係を築くことです。
信頼できる人々、
ありのままでいさせてくれる人
癒しをせかさない方々、
「もう忘れなさい」と言わない人、
「まだ泣いているの?」と言わない人、
「〜〜年も一緒にいられたんだからいいじゃない」とは言わない人、
ああすれば、こうすれば、と指図をしない人。
あなたを悲しませてくれる人々。
ここは、そういう安全な場所です。
ジェシカが言いましたように、グループの中で発言しなくても構いません。
そこにいるだけでいいんです。
あなたの悲しみは大切です。
あなたの悲しみはないがしろにされません。
これからトミー牧師が指導しますが、
皆さんのための私の祈りは、
私たちみな、単にこの悲劇を生き延びるだけではなく、
一日に一歩ずつ、一瞬ずつ、
私たちが地に撒いたタネが芽を出して行くことです。
神の祝福を祈ります。
(ケイ・ウォレンさんは、サドルバック教会創立者の夫人です)
Tさんとの出会い
「信徒の友」という雑誌に、自分の半生を紹介する中で、父親を十数年前に自死で失ったことを、さりげなく書いている人がいた。
その方のお父さんは、中途失明の視覚障害者であり、定年まで立派に勤め上げられたのだが、引退後に家人の留守の間に、遺書を残して生命を絶ってしまった。
自死遺族であることを隠さずに、あえて書かれた勇気に驚くとともに、その事実とこれまでどのように向き合ってこられたのかをもっと知りたくなった。同じクリスチャンであることも一つの理由だ。連絡先を探し出して、まず電話をさせていただいたが、見ず知らずの人間の話も嫌がらずに聞いてくださった。
先日は、県内に住むそのTさんという方を夫婦で訪問する機会があった。お忙しい中で、電話では尽くせなかったご家族のことを分かち合ってくださった。今は関西で一人暮らしをしているお母様の書かれた文章が掲載された本もお貸しくださった。
お母さんは、視覚障害者の妻として結婚以来支えてこられたのだが、「自分は夫の苦しみをわかっているつもりでいたが、今になって実は失明した夫の絶望をよくわかっていなかったのだ」と述懐しておられるのが印象に残った。
お二人は、自死遺族の分かち合いの会に出たことはなくても、自分なりの悲嘆のやり過ごし方を見つけ出してこられたのだと思われる。
子どもを失った私たちと、父親を失ったTさん。境遇は違うが、愛するものを失った悲しみに共通するものは少なくない。
おいそれとは会えない場所にいる方ではあるけれど、同じ自死遺族としてなんらかの形でこれからも支えあうことができたらと思わされた。
PTG(心的外傷後の成長)という考え方
PTSDという用語はよく聞く。
トラウマを経験した後のストレスが生み出す
心的肉体的な不適応のこと。
最近注目されているのが
PTG(心的外傷後の成長)だという。
Post Traumatic Growth
オウム真理教事件の被害者遺族高橋シヅヱ さんの
インタビュー記事にあったのに目が留まった。
これを聞いて、
私が自死遺族会を開いていて思ってきたことと一致した。
家族を自死で見送る悲しみを通ったことは
マイナス要因にしかならないとみな思うが、
マイナスがゼロになるだけではない。
プラスにさえなる、というのが事実だ。
落ち着いてくると、ここから良いものを探そうという
心の余裕が生まれる。
これは、自死遺族だけではなく、あらゆる悲劇の当事者にも
言えることらしい。
マイナスがマイナスのままに終わってしまう人と、
マイナスがプラスに変わる人とは、何が違うのだろうか?
「苦しみにあう前には、私は迷い出ていました。
しかし今は、あなたのみことばを守ります」
詩篇の119篇67節
「苦しみにあったことは 私にとって幸せでした。
それにより 私はあなたのおきてを学びました」
同上 71節
自死遺族オカザキマリさんのお話
VIDEO
オカザキさんは、25歳の時にお母さんを自死でなくしました。
カナダ在住です。
十数年間黙っていたけれど、
自死遺族のグループにファシリテーターとして
出るようになって、治っていたと思っていたPTSDが
まだあることに気づいた。
しかし、話すことが心の癒しにつながったそうです。
信仰の話はしていないので、クリスチャンかどうかは不明。
英語で話しています。
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