メールのお問い合わせへの返事
ナインのサイトを見てメール連絡をされる方々にはいつも感謝しています。
「前島さんへ」という宛名で書かれる方には
私が返事をするようにしているけれど、
特に名当てがなく、コンタクトをしてくる方には
別の世話人が返事をすることがあります。
ご婦人の場合は、婦人の世話人が返事をするのが
ベストだと思います。
クリスチャン自死遺族のコミュニティ
「泣くのに時があり、笑うのに時がある。嘆くのに
時があり、踊るのに時がある」伝道者3章4節
2014年発足
10年ほど前から確定申告にイータックスを使ってきたが、
どうもアップルコンピューターとの相性が悪いので、
今年から、オンラインでの弥生(yayoi)会計を
使うことにした。
多少の投資は仕方がない。
最初は、やはりまごつく。
それでも、何クソと挑戦。
2日目になって、弥生ちゃんのクセが分かってきた。
一般会計と不動産会計との入力をする。
分からないので、問い合わせ電話をかける。
優しい相談員に励まされて、また入力に取り組む。
合わない会計が合うときの快感!
クセになりそうだ。
72歳の歳を終える。
祖父が70を超えた時は、ずいぶん爺さんだなと思ったものだが、
私もやはり爺さんです。(なんだそりゃ?)
今年の夏頃でしたか、もう10年以上会っていない知人からメールがありました。
彼はエクアドルに住んでいる人で(多分アメリカ人)、前は同じ団体で仕事仲間
でしたが、今は全く違うところで働いている。
「ボイス・オブ・ザ・マーターズ(殉教者の声)」と言う団体で、出版物があるのだけれど
その日本語訳をしないかという。
ただし、紙の印刷をするというのではなく、ネット上で無料閲覧するものだ。
できないことではないので協力することにしたが、その内容には驚くことばかり。
クリスチャンであるというだけで、命を狙われるところが世界には多くある。ローマ
帝国時代の話ではなく、21世紀の話である。そのような迫害を受けている(人権侵害
とも言える)人々の実話を世界の教会に知らせ、祈り援助しようという意図である。
日本でキリスト教はメジャーではなく、クリスチャンは人口のコンマ何%しかいない。
完全に無視されている。むしろ「何かの信仰を持っている」と言えば、「洗脳されてる、
あわれだな」と思われてしまう国である。
生きにくさはあるものの、命の危険を感じたことはない。
ところが、共産圏、イスラム教圏では、文字通りに命の危険を冒してキリスト教信仰を死守
している方々が今もいる。「お前にそれだけの覚悟があるか」と問われれば、返事につまる。
400ページにもなろうという本の翻訳レビューを、まもなく終えようとしている。
来年も新しい企画に協力する予定だ。
最近は、どんな人もSNSをよく使う。
メール、ショートメール、LINE、
フェイスブック、まだまだある。
手紙(110円)や葉書(85円)は割高だ。
ところが律儀に手紙をくださる
友達がいて、感激する。
この方も、私と同じ自死遺族である。
彼は、時代に遅れという人もいるだろうが
私は違うと思う。
大事にすべき人だ。
「ひとりで、いっしょに」
は、自助グループのキーワードのひとつ。
自助グループの研究者である岡先生が執筆中の原稿を、
一部読ませていただいた。(もったいないことです)
「自助」ではあるが、「互助」ではない。
自分で自分を助けるのが、自助グループだ。
人にべったり頼るのは、本来の自助グループの姿ではない。
たとえ、最初はそうであっても、グループに出ているうちに
自分の足で歩くことを学んでいくのだ。
そんなことをおっしゃっていたのではないか。
私なりの解釈です。
早く一冊の本になってほしい。
「おお神よ。
泣き叫ぶ勇気をください
理解させてください
涙はたましいに鮮やかな色をもたらすことを
雨がふらなければ虹もかかることはないことを
涙のプリズムの中に
私自身の本当の姿を見させてください
勇気をください
涙が表すものを見るだけではなく
涙が導くところに従えますように
私の目を開いてください
この虹を越えたどこかで
涙は私をふるさとに導いてくれる。」
『悲しみを生きるヒント』(H・ノーマン・ライト)より
人々が悲しみを表現するのに使う様々な「ことばの絵」がある。
それを読んで、
私たちは「そうだ、それこそ私の気持ちそのものだ。
私もひとりぼっちだと思っていた」と言う。
あなたはひとりではない。それが悲しみというものなのだから。
ある父親が言った。
悲しみは波のようだ。遠くから次々とやってくる。
浜辺の水の中にいたとしたら、抵抗できない。
波とは戦うことはできない。
私の上を越え、私の下に潜り、私に向かって来て砕けるが、
止めることはできない。
私の居場所は譲るようにしながら、波は目的地にたどり着く。
私は前後左右を囲まれる。抵抗すればするほど、疲れ果てる。
悲しみも同じだ。戦おうとしても、負けてしまう。
抑え込もうとしたら、かえって心にへばりつき、形を変える。
つまり、うつ症状、恨み、疲労感として姿を現すだろう。
しかし、私が波に身を任せて運ばれるのを許すなら、
新しい場所に連れて行ってもらえる。
H・ノーマン・ライト著
『悲しみを生きるヒント』
第1章 悲しみの様々な顔 より
ラジオで人気の「テレフォン人生相談」という番組がある。
今日の相談者は、
妹の息子(相談者にとっては甥)が、自死をし、
妹が激しく嘆いているが、どうやって慰めたらいいか
わからないという相談であった。
誰にも知られたくなくて、葬儀は家族だけでした。
甥は、グループホームで生活しており、
うつや統合失調症という診断を受けていた。
「さて、誰が回答者として出てくるかな」と思ったら、
名前は忘れたけれど、「家族相談師」とかいう
肩書を持つ女性であった。
冒頭に、この回答者が、
「私の父は自死をしています」と言われた。
それが相談業務の勉強をするきっかけになったらしい。
家族を自死で失った者は、それを恥ずかしいこと
口にできないことだと思いがちで、それが回復の
大きな妨げになる。だから、妹さんがお姉さんに
3ヶ月後であっても電話をしてきたということは
それ自体大事なことなのですよ、これからも
しっかり聞いてあげて、一緒に泣いてあげてという、
的確な答えだった。
これは、回答者が当事者であるからこそできた返事だと思う。
お姉さんは、妹さんにとって良い聞き手になれると思う。