小さな読書会(第3回)

好きな本を紹介し合います
聞くだけもOK。
自死遺族限定
6月8(木)午後2時−3時半
6月10日(土)午前10時−11時半
予約なしでも参加できますが、
予めお知らせください
URLを送ります
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クリスチャン自死遺族のコミュニティ
悲しむ者は幸いです。その人たちは慰められるからです。
イエス・キリスト
発足 2014年
ミニナインの会(読書感想の発表)
ご報告
1月6日(金)午前10時ー11時半
本を紹介し合いました。
詩集もあり、短歌もあり、中には
音楽や絵画のお話も。
6名の参加で、期待を大きく越え
満足感のある分かち合いとなりました。
二回目は3−4月頃を予定します
やまなみ(長野県の自死遺族会)には、 子どもをなくした親が多い。 世話人が子どもをな くしているからだろうか。 一方、伴侶、親、兄弟をなくし た方々は比較的少ない。 しかし、他県のグループでは、 伴侶または親をなくした方々 が世話人をしているところも 珍しくない。 それで、他の地方に行くと立場 の違う方々とも知り合える。
「親をなくす」と一言で言うけれ
ども、物心も付かないうちに親を
亡くした方、十代で親と別れた方、
中年でなくす方では、また経験が
違う。児童だとどのように親がな
くなったのかを知らされないか、
またはその場限りの偽りの病名を
聞かされることもあるらしい。中
には、同時にふた親をなくされた
方も居る。 ある本で、十代の学生
時代に父 親を自死でなくした方の
凄絶な体 験を読んだが、自分がそ
の立場な ら、果たして青春時代を
生き延び られたか分からないと思
った。 子どもをなくした親でも、
ひと りっ子をなくした親と他にも
子ど もがいる親とではまた違う。
それは他県の世話人さんから聞かさ
れたことだが、言われてみればその
とおりだ。
そういえば、私の話を最初に聞
いて下さった他県の自死遺族のお
父さんは、それこそひとりっ子を
なくしておられた。よく聞いて下
さったものだと思う。
分かち合いのグループを決める
のに、司会者は、立場の同じ人同
士が話せるようにグループ分けを
考える事が多いし、それはそれで
理由のあることだ。しかし、立場
が同じだから、分かり合えるもの
だと安易に思わない方がいいのか
も知れない。
第一、同じ子どもをなくした夫
婦でも悲しみ方は同じではない。
自分と同じか違うかは、どうで
もよい。自分が今ここで話したい
ことを話し、ここでしか聞けない
人の話に耳を傾ける心の用意こそ
が大事なのだと胸に刻んでいる。
賜物といえば、現代では、音楽、絵画、
スポーツ、作詞、作曲などの賜物(才能)が目を引く。
聖書時代にもこれらのものはあったはずだが。
それはそれとして、この箇所から思った。
「賜物も、恵みなのだ」と。
上手に賜物を使う人を見て、
「自分にはない賜物だ」と
自虐的に言う人がいる。
どんな賜物でも神様からの恵みなので、
自分にだってあるはず。
「それぞれが賜物を受けている」とある。
「神が備えてくださる力によって、
ふさわしく奉仕しなさい」(同11節)
能力も賜物ならば、それを使う力も上からのもの。
何でもいい。神にいただいたものを、
神の栄光のために使う。
そうすれば、神があがめられる(同11節)。
心にも充実感を得る。
生活に役立つかどうかは、二の次。
深く悲しむことは
忘れるためではありません。
悲しむことは私たちを癒し、苦痛とともに
ではなく、愛とともに記憶しておくことを
可能にしてくれます。
それは回復の過程です。
ひとつ、ひとつ、失われたものを
往くにまかせ悼むのです。
ひとつ、ひとつ、あなたという人間の
一部となっていたものをつかまえ、
そこから再出発するのです。
レイチェル・ナオミ・リーメン
「祖父の恵み」
中央公論新社
癒されるための分かち合いで
かえって傷つくこともないわけではない。
一つの理由は要らない助言をされた時
ではないだろうか。
分かち合いのルールで、
「同じ遺族とは言え、
想いは全く同じではありません。
互いへの思いやりをもって
分かち合いましょう」と唱和する。
私も絶えず 自分を戒める
必要がある。
「こうしたらいい、ああしたらいい」と
ついつい言いたくなる。
しかし癒しの方法は、各自が
見つけていくもの。
Aさんによかったものが
Bさんにも効く保証はない。
自分にも必ず生きていく道はあると信じる。
その道を探す同伴者として
分かち合いはあると思っている。
他人の悲しみを見て
悲しくならずにいられようか
他人のなげきを見て
やさしい慰めを探さずにいられようか
ひとが涙をこぼすのを見て
いっしょに悲しく感じないのか
父親が子供の泣くのを見て
胸がいっぱいにならぬだろうか
母親がおさなごのうめきや恐れを聞き
じっとすわっていられようか
いやいや そんなこと あり得ない
決して決して あり得ない
すべての上にほほえみ給う神様が
みそさざいの小さい悲しみを聞き
小鳥のうれいやなげきを聞き
幼子のかなしみを聞き
それらの胸に憐れみをそそぎつつ
巣のそばに立たなくていられようか
おさない涙にもらい泣きしつつ
ねどこのそばにすわらずにいられようか
夜もひるもすわり われらの涙を
ぬぐって下さらなくていられようか
いやいや そんなこと あり得ない
決して決して あり得ない
神様は喜びをすべての人に分けて下さる
神様はおさなごとなられた
神様は悲しみの人となられた
神様はおさなごの悲しみを感じられる
お前がためいきをつくとき
神様がそばにいらっしゃらないと思うな
お前が涙をながすとき
お前を創られた方がそばにいらっしゃらないと思うな
ああ、神様は喜びをわれらにわけ与え
われらの悲しみを打ち破らんとし給う
われらの悲しみが一つでも残るあいだ
神様がわれらのそばでなげき給う
『ブレイク詩集』
「自死と教会』キリスト新聞社より
『父の自死とそれからの私』
アルバート・シー
そもそも医者自身が分かっていない。
「飲んでもらわなければ分からない」
と言うのが本音なのだろうが、
患者の前でそう言う医師はいないだろうな。
著者の夏苅郁子さんの母親は
統合失調症で、父親と離婚した。
子供時代は、毎晩おかずが同じ。
ご自分が重いうつになり、
医学生時代に未遂事件を二度起こした。
多くの優しい人との貴重な出会い
を得て回復した後に、
結婚して児童精神科医となり
夫も精神科医として開業している。
精神科医療の七つの不思議な実態を
患者の家族、当事者、医師としての
三つの顔で、「病院では聞けない話、
診察室では見えない姿」を語る。
「精神医療は、いまだに病気の原因を見つけていない。だから『不思議』が生まれる」
薬には医師の処方とは別に、人薬と時薬が必要だ。
日本中行ったところがないほど多くの講演依頼に応じている
ライフサイエンス社 221ページ 1500円プラス税
同じライフサイエンス出版からは、
「人は、人を浴びて人になる」も上梓している。
207ページ 1500円プラス税
治療(といってもいいのかな)が
精神医療の分野で始まっている。
フィンランド発の方法らしい。
開かれた対話、対話を開く。
著者の森川さんは精神科医なのだが、
日本の精神医療の現実に行き詰まりを覚えて
わざわざフィンランドに
オープンダイアローグを学びにいく。
学びにというより、体験しに行った。
そして自分との対話に目覚めていく。
父や母とそして妹とも本当の
対話をして来なかったのだと気づく。
自分が対話ができなければ
人にも対話を促せない。
医師が患者を診て
診断し薬を出すのではない。
悩み、困難、困りごとを参加者が
輪になって対話して解決を探っていく。
その輪に医師が入らないことも多い。
不思議な本。
オープンダイアローグ
これは家庭でも自助グループでも生かせるはず
講談社 現代新書 860円 税別
希望も助けもない状況にある人でさえ
自分の悲劇を
勝利に変える力を秘めている。
涙を恥じることはありません。
その涙は
苦しむ勇気を持っていることの
証なのですから。
苦難と死は人生を無駄にしない。
そもそも苦難と死こそが
人生を意味あるものにする。
ビクトール・E・フランクル
『「生きる意味」を求めて』
オーストリア・ウィーン出身の精神科医、心理学者
ユダヤ人であるためナチによる強制収容所へ
著者以外の家族は誰一人生還しなかったという
清水加奈子さんは、若手の精神科医師
今スイスで研修中。
「自死遺族のことも出てくるだろうな」
と思い読み始めるとそのものズバリ。
父親を自死で亡くした二十歳の大学生。
母親は籍が入っていない。
父親は別に家庭があるという複雑系。
初めは患者の女子大学生は口さえ開かず
医師は連れてきた母親とばかり話した。
でも、清水医師は時間をかけて信頼を築き
女子大生に口を開かせられるようになる。
心は薬ではなくやはり人が治すのでしょう。
投薬するばかりが能ではない。
急性期の遺族に助けになりそう。
自助グループが助けになることも書いてある。
時事通信社 1800円プラス税
現代人は天使の声を聴けるのか?
カヤックごと滝つぼに呑み込まれて溺れ死んだ後、
再び地上へ連れ戻されたメアリー。
その “ 死” のあいだに経験したものとは。
事故の前は教会には行くものの
生活はこの世の中に流されていた。
永遠の世界をかいま見た
メアリーは、本気で神様に従う人になる。
著者は整形外科医で、
南カリフォルニア大学医学部脊髄外科の元指導教官。
ワイオミング州ジャクソンホール整形 外科協会の共同設立者。
四六判・256 頁
本体1,600 円+ 税
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神よ、
私に変えることのできないものは、
それを素直に受け容れるような心の平和を!
変えることのできるものは、
それを変える勇気を!
そして変えられるものと
変えられないものとを、
見分ける知恵を!
この私にお与えください。
God
grant me the serenity
to accept the things I cannot change,
the courage to change the things I can;
and the wisdom
to know the difference.
- Niebuhr, Reinhold
(聖パウロ女子修道会HPより)
分かち合いのルールに
「悲しみ比べはしない」と言うものがあります。
なぜか?
悲しみは比べられるものではないからです。
そして、多くの場合、
「自分の悲しみの方があなたの悲しみよりも深い」
と言う主張になります。
比べられた方はたまりません。
「あなたの悲しみは私に比べて大したことがない」
と言う決めつけをされます。
どちらの悲しみが深い浅い、という感覚は
人間としてはありえるでしょう。
しかし、それは主観で、思い込みです。
あえてことばにしないほうがいいというのが、
自助グループの常識です。
本書には、
今年2018年10月27日のナインの会@大阪に参加し、
説教をしてくださる玉田真(まこと)牧師のお母様である
恵美子さんが寄稿しておられる。
ご主人である敬次牧師が還暦を過ぎ、牧師を引退した後に
自ら命を絶たれた前後のことを記されている。
敬次牧師は、中途失明の全盲者であった。
奥様は、全盲者の牧師の働きを支えて来られたのだが、
奥様が家を離れた隙に先立たれてしまった。
奥様は、神様の元へ送れたと平安を得られたようであるが、
その時両親のそばにいなかった息子の真さんにとって
それはどれほどの衝撃であったことか。
真(まこと)牧師は、それでも自死遺族であることを隠さずに
主イエスに仕えるお仕事に忠実に励んでおられる。
10月27日は自死遺族の集いでご本人の口を通してお語り頂く。
ナインの会@大阪(10月27日)を祈りつつ待ちたい。
会場:日本バプテスト大阪教会(天王寺駅より徒歩5分)
午前11時から午後3時まで(昼食持参)
(本書は、会場でも販売します)
Life Journeys: Reclaiming Life After Loss from AFSP on Vimeo.
The Journey - A Documentary Produced by AFSP from AFSP on Vimeo.