エリ・ヴィーゼルのことば
なんであれ、試練を乗り越えた者は語りべにならねばならない。
それが人間の義務である。
エリ・ヴィーゼル
(ホロコーストの生存者)
クリスチャン自死遺族のコミュニティ
「泣くのに時があり、笑うのに時がある。嘆くのに
時があり、踊るのに時がある」伝道者3章4節
2014年発足
「おお神よ。
泣き叫ぶ勇気をください
理解させてください
涙はたましいに鮮やかな色をもたらすことを
雨がふらなければ虹もかかることはないことを
涙のプリズムの中に
私自身の本当の姿を見させてください
勇気をください
涙が表すものを見るだけではなく
涙が導くところに従えますように
私の目を開いてください
この虹を越えたどこかで
涙は私をふるさとに導いてくれる。」
『悲しみを生きるヒント』(H・ノーマン・ライト)より
人々が悲しみを表現するのに使う様々な「ことばの絵」がある。
それを読んで、
私たちは「そうだ、それこそ私の気持ちそのものだ。
私もひとりぼっちだと思っていた」と言う。
あなたはひとりではない。それが悲しみというものなのだから。
ある父親が言った。
悲しみは波のようだ。遠くから次々とやってくる。
浜辺の水の中にいたとしたら、抵抗できない。
波とは戦うことはできない。
私の上を越え、私の下に潜り、私に向かって来て砕けるが、
止めることはできない。
私の居場所は譲るようにしながら、波は目的地にたどり着く。
私は前後左右を囲まれる。抵抗すればするほど、疲れ果てる。
悲しみも同じだ。戦おうとしても、負けてしまう。
抑え込もうとしたら、かえって心にへばりつき、形を変える。
つまり、うつ症状、恨み、疲労感として姿を現すだろう。
しかし、私が波に身を任せて運ばれるのを許すなら、
新しい場所に連れて行ってもらえる。
H・ノーマン・ライト著
『悲しみを生きるヒント』
第1章 悲しみの様々な顔 より
ラジオで人気の「テレフォン人生相談」という番組がある。
今日の相談者は、
妹の息子(相談者にとっては甥)が、自死をし、
妹が激しく嘆いているが、どうやって慰めたらいいか
わからないという相談であった。
誰にも知られたくなくて、葬儀は家族だけでした。
甥は、グループホームで生活しており、
うつや統合失調症という診断を受けていた。
「さて、誰が回答者として出てくるかな」と思ったら、
名前は忘れたけれど、「家族相談師」とかいう
肩書を持つ女性であった。
冒頭に、この回答者が、
「私の父は自死をしています」と言われた。
それが相談業務の勉強をするきっかけになったらしい。
家族を自死で失った者は、それを恥ずかしいこと
口にできないことだと思いがちで、それが回復の
大きな妨げになる。だから、妹さんがお姉さんに
3ヶ月後であっても電話をしてきたということは
それ自体大事なことなのですよ、これからも
しっかり聞いてあげて、一緒に泣いてあげてという、
的確な答えだった。
これは、回答者が当事者であるからこそできた返事だと思う。
お姉さんは、妹さんにとって良い聞き手になれると思う。