ナ イ ン の 会

クリスチャン自死遺族のコミュニティ
    
「泣くのに時があり、笑うのに時がある。
嘆くのに時があり、踊るのに時がある」
伝道者3章4節

2014年発足 

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開催レポート

説教『神の手当て』(大浜英樹)

christian_bokushi
2021年5月22日
ルカ8章54-56節
 
私の母は、97年に自死しました。
死後、母はどうしているのかと心配しました。
その私を落ち着かせ、母を救うキリスト・イエス
がいます。
今日の聖書箇所に登場する人物も
イエス様を仰ぎます。
彼の一人娘が病で苦しみ、悪化して亡くなる。
そこにイエス様がいます。死のある世に。
人となられた神が共にいます。
悲嘆は重く、のしかかるところに。
イエス様が「起きなさい」と呼びかけ、
娘は生き返ります。
これを見て親は驚きます。
そこで知り得ることがあります。
まずイエス様は死ある所に人と共にいます。


人々は死を汚れだと信じます。
誰も汚れたくない中でイエス様は
遺体にも手を触れます。

ある住職が「神道で死者は汚れだと考える。
死者を見せないように神棚の扉を閉め、
半紙を貼り封印する」と教えます。

しかし聖書が教える真の神は人となって、死のある場にいます。
さらに遺体に触れます。54節で「手を」取ります。
悲しむ者のためにイエス様はそうします。
さらに自分自身も死へ向かいます。
私たちを愛するゆえ十字架も経験します。

また呪いある所にイエス様も共にいます。
人々は長寿が祝福だと考えます。
その一方で若くして死ぬことは良くないと考えます。
日本人もそれを厄と考えます。
しかし、イエス様は厄の中にもいます。
真の神の手当てをなすため、神のわざを現すために。

そして不完全な所にもイエス様は共にいます。
50節で故人の親は動揺しています。
彼は信仰者ですが現実の状況に打ちのめされます。
日頃「神を信じる」と告白しています。
でもそれが人の現実です。56節も「ひどく驚いた」とあります。
信じていない反応が表れます。

実は、新約聖書で死者の復活記事は3箇所ありますが、
全て人の不完全な言動が表れています。
信仰が見当たらないのです。
でもイエス様はそこにもいます。
神のわざを現すために。
全て彼の憐れみです。イエス様のおかげなのです。

人が激しい試練に遭う中でイエス様は
不完全な人々をも愛して共にいます。それがイエス様なのです。
今日はナインの会です。
私の場合は母の自死で絶望的になり、
「どうして」と神を責めました。家族をも。

全国自死遺族連絡会の方から様々なさらに過酷な事例があると
私は知らされました。
心の痛む中で親戚から批判され、警察から「事件か?」と疑われ、
世間も偏見で私たちを苦しめます。追いやられる私たち。
そこでイエス様を仰ぎたいと仲間が集まる。
それがナインの会です。

痛みがある中でも主を求めます。
初代教会のようで、新旧の教派はありません。
信徒も牧師の垣根もない。純粋にイエス様を求めます。
賛美とみことば、祈りを共にします。
お互いの経験を語り合い、痛みを共有します。
生きる希望と力を得るために。イエス様は間違いなくそこにいます。
イエスは私たちの味方です。私たちのために存在します。
彼は苦しむ者と密接なのです。

だから、これからもイエス様を求めましょう。
イエス様は人がどうすることもできない部分に
特別な手当てをしてくれます。
イエスを信頼しましょう。
 

 

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