3月21、22、26日の分かち合い
(8名参加)
3月22日(火)午前10時〜11時半
(8名参加)
3月26日 土曜日 10時から11時半
(8名参加)
延べ二十四人の参加で行いました
牧師を迎えての礼拝も良いものですが
祈りと分かち合いだけの会にも
それなりの良さはあります
クリスチャン自死遺族のコミュニティ
「泣くのに時があり、笑うのに時がある。嘆くのに
時があり、踊るのに時がある」伝道者3章4節
2014年発足
回数を重ねて自分の気持ちを出せるだけ出そうと思っています。
それが私にとては何よりの癒しに繋がるし私が癒されれば、
もしかして亡き妹にも何らかの影響があるのではと思っています。
今夏のように何度か機会を作っていただけたことありがたかったです。
午後の礼拝で説教を担当された大塚師は、
「いこいのみぎわ」という自死遺族の会
を岡山市で主催されています。
東京都多摩市で牧会中に遭遇した出来事から
お話は始まりました。
2010年11月28日、日曜日、礼拝の後、
所要で出かけた大塚さんは京王永山駅で電車を待っていました。
定刻の14時45分にプラットフォームに近づいた電車は、
異様な音をたてながら急停車。
その後の駅は、阿鼻叫喚の場に変貌しました。
翌日、新聞は81歳の女性の自死を報じました。
事件後、教会も地域で孤立する人々に
援助の手を差し伸べる方法はないものかと祈り、
具体的な手立てを模索しはじめます。
翌4月に、慕っていた叔父上の自死に遭遇し、
大塚牧師本人が自死遺族の当事者になりました。
以後、自死遺族に寄り添い、また孤独な人に寄り添う活動に
力を込めました。
現在の岡山に転任後も活動は継続し、今に至ります。
今の私たちにとって難解な箇所ですが、
初めて聞いた弟子たちにとっても、
決してやさしい言葉ではなかったはずです。
「わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は永遠の命を得る」
ギリシャ語に「食べる」という動詞はいくつかありますが
ここでは「噛み砕く(トローゴー)」が使われます。
キリストの愛を自分のものとするまで、
「噛み締め、かみ砕く」ならば、
キリストを自分のものとすることができます。
愛する人は、目の前に居なくなり、生きている私たちが
もはや見たり、言葉を交わすことはできない。
しかし、その人が共にいることを感じ、思い起こしたりできる。
愛する者を失うことはつらいが、共にあった時の幸せを
思いだすと、愛おしい思いが溢れてきます。
キリストを天国に送った初代の信者も、イエスの日常の姿や
言葉をしっかり記憶に留め、宣教に務めたのでしょう。
(世話人ー めぐみ)
足立智幸牧師のお話を伺って
「家族が自死した」という「事件」を背負って、「自死遺族」と
なって送った日々を思い返さない日はありません。
時が経ち、世紀が変わり価値観が変わっても、この事実を黙って
背負いつつ遺族は日々の命を紡いでいます。
オンラインで持たれた2021年冬の
「ナインの会」2月20日(土)午後1時からの礼拝で、
講師の足立牧師は「私の母は33年前に自死を
しました」と話し始められました。
一人で、自宅のパソコン画面を見つめつつ、
私は「その時、先生はお幾つだったのかしら?
どんなお気持ちで過ごされたのだろう?
先生の辛さと驚きをしっかり支えて下さった方が
おられたかしら?」などなど、いろいろと想いが広がりました。
長じて立派な社会人となられ、
家庭を築かれお嬢様にも恵まれました。
幸せな先生に起きた次なる事件は、
愛娘が自死を試みてしまったことでした。
母の自死と、時を経た娘の未遂は、
先生の生き方そのものを変える機会になりました。
大きな決断をして、順調な社会人としての生活があり、
子どもを愛し、幸せな暮らしを送っていた人生から、
神様の御心へと大きく舵を切られました。
教会へ行き、心を開いて道を求め、やがて献身を決意されました。
神学研鑽にはひとかたならぬ努力が必要だったでしょう。
それでも初志を貫いて遂に牧師になられました。
飾りのないお証しを伺いながら、
いつの日か、オンラインではなく、
直に教えを乞いたいと願わされました。
世話人 megumi 2021/2/23