ナ イ ン の 会

クリスチャン自死遺族のコミュニティ
    
「泣くのに時があり、笑うのに時がある。
嘆くのに時があり、踊るのに時がある」
伝道者3章4節

2014年発足 

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開催レポート

2月19日 今年初めてのナインの会

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 2月19日(土)朝9時半過ぎ
 申し込んでおられた20名弱の方々が、「ピンポーン」の音とともに、次々に現れる。スクリーン上で挨拶を交わす。
 
 10時を少々過ぎて、司会者が挨拶。
 初対面も多いので自分がなぜ参加しているかを短く話す。
30分の予定が1時間を少々過ぎた。
 4人ほどのグループに分かれて分かち合う。
 1時間休憩の後、1時から礼拝。
 司会は一自死遺族として参加している牧師さん。説教(証し)は、隠岐教会の大野光信牧師さん。なんの飾りもない淡々としたお話に一同聞き入りました。
  以下は、参加者の感想です。
(新たに感想が入るたび更新)

   ・いつも準備をしてくださってこの会を続けていただきありがとうございます。時の流れの中で心が軽くなったり沈んでしまったり流されながら、心の傷を抱えて毎日暮らしています。大野牧師先生のお話は心に響きました。
  ・弟さんをなくされた方のお話を聞いた。このスピーチを備えるために、数十年前のおぼろげな記憶をたどったが、多くの記憶が消えていた。当時を知る母親、兄弟、弟さんの知人などできる限り電話をして事実を掘りおこされた。人前で話すのはこれが初めてという。私自身は子どもを亡くしていて、兄弟を失った方の話を聞くことはあまりない。このような機会をいただいて有り難かった。

 ・司会者がお祈りで、
「私達は愛する者をあなたさまのみ元に送った者たちの集まりです」
と言われました。
 何ていい表現でしょう。説教された大野さんも、今回は大変な振り返りの作業だったのでしょう。
 私は、まだまだ主人のいない毎日があまりにもつらく淋しく、大きな波に飲み込まれそうになるたびに、「イエス様、イエス様」と呼び求めずにはおれません。目が覚めた時いつも空しく淋しく、悲しみが襲います。せっかちな者ですから1日も早く癒されたいと思います。


 ・大野牧師のメッセージに胸が締め付けられました。
忘れてしまいたい過去を掘り起こす作業には、痛みが伴います。
 「弟のことを思い出すのは、いわば骨を拾う作業だ」とおっしゃったのが印象的でした。
 「悲しみは決して一人で引き受けるものではない、どんな時にも私の傍に立ってくれる人が確かにいた」との締め括りのことばに、暗闇に差す光を見た思いでした。
今回も日本列島津々浦々から多数の参加者がありました。それぞれに抱えておられる悲しみに胸が痛みます。「悲しむものと共に悲しみなさい」の通りの会だと思います。

(希望者にはお証、説教の録画を配信します。)

10月23日の分かち合いと礼拝

オンライン会議
今年最後のナインの会を開きました。
全てがオンラインでした。
19名が参加。
説教者は、北海道の石垣弘毅牧師さん、
今年の春から何度もご参加くださり、
おなじみになりました。
お証は愛知県の石井貞子さん、
ナインの会が発足した7年前からの
忠実な出席者です。
今日は初めての参加者も数名。

運営側も、会を重ねるうちに少しづつ慣れてきました。
少々の失敗があっても、いちいち慌てません。

なお、希望者に、礼拝の映像を配信します。(45分)
申し込みは、こちらから

年が明けて2月19日に再びオンラインを予定しています。
説教者は、島根県隠岐島の教会の牧師大野光信先生。
やはり自死遺族です。

新年度は、久しぶりに対面でしたいものです。

以下は、参加者からの感想です。

(アンケートが入るたびに更新します。)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
・初めてのナインの会礼拝でしたが、あたたかく迎えていただき、心が安らぎました。深い悲しみを通られた石井さんのお証や石垣先生のメッセージをお聞きし、まだ霧の中にある私の心を主が優しく包んでくださっているように感じました。悲しみと絶望の底に来てくださったイエス様が私の信仰と希望となってくださることや、悲しみがありながらも「生き生きとした希望」へと新しくしてくださることを再確認して、このままの心でゆだねていいよと教えていただいたように感じました。

・初めて参加された方に、世話人が配慮に満ちた語りかけをされている姿に、私も心地良く慰められました。「亡くなられた方を、目の前にしたら何を語りかけますか」と質問され、息子に対して"ありがとう"と感謝の思いを伝えることができました。初めて出席した五年前に比べ、神さまが随分私を癒してくださったと改めて感じました。礼拝では「深い悲しみの中にイエス様が共にいてくださる。希望も神さまが与え、不信仰も全て受けとめてくだる」との励ましをいただきました。来年もお会いできますことを楽しみにしております。

・今日はたいへんお世話になりました。みなさまのお話しをお聴きし、そして私の話しも聴いて頂き、振り返ってみて、大切な時間となりました。会が始まる前にも、お話させて頂いたこと、感謝しております。次の機会にも参加させて頂ければと思っております。

・いつも 参加させていただき感謝しています。自分の事をお話しして気持ちが少し軽くなって 一人ではないことを確認します。少し前を歩いている方のお話を伺って、また日々を送っていけます。受け入れていただきありがたく思います。ズームはまだまだ馴れなくて、いつもドキドキです。対面でお会いできるのを楽しみにしております。
 

9月25日ミニ・ナインの会(10月1日更新)

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今年5回目となるナインの会が
9月25日(土)9時半から正午まで
オンラインで行われました。
礼拝を含め20名の参加で
4グループで分かち合いました。



説教と証をしてくださった
高橋めぐみ伝道師 のお話(20分弱)を
希望者にリンク先を公開します。
こちらへお申し込みください。

なお、視聴後に他者に流す
ことはお控えください。
 
    ーーーーーーーーーーーーーーーー  参加者の声 ーーーーーーーーーーーーーーー

・今回の高橋さんのお父さんの自死についてのお話は、著書でも拝見はしていましたが、初めて自死遺族に向けて話されるのを聞き、改めてその衝撃の大きさと回復の旅路の長さと重さを思いました。貴重な機会をありがとうございます。

・9/25のナインの会では参加でき、話せたりお話しをお聞きし感謝しています。回数を重ねる毎に娘への思いが変えられ深められます。礼拝では御言葉と家族の自死を経験された先生の信仰の歩みから、その場でしか得られない恵みを頂きました。


・これまでは一般の自死遺族の分かち合いに出ていましたが、今回はクリスチャンの方々だけのグループに出たので、それぞれの参加者が家族の自死についてどう考えておられるのかわかって、大変感謝しました。

・9月25日のミニナインの会に参加できて感謝します。
途中「迷子」になりましたが、無事にグループトークに参加できました。
改めて世話人の方々のお手間ゆえに成り立っているナインの会と思わされました。髙橋めぐみ伝道師のお証しに恵まれて、励まされました。来月の会は、まだまだコロナ禍によりzoomですが、「一日も早く対面で」と思わされました。

・本日は、「傾聴のみ」と言うわがままな参加をお許しいただき感謝しております。結果的には皆さんとの分かち合いもでき、礼拝では素晴らしいスピーチも聞くことができました。感動的な時間をありがとうございました。


・せめて礼拝のメッセージは聞きたいと勇気を奮って参加しました。イエス様がいて下さることが頼りですが、〜〜のいない現実はあまりに辛いものです。身体が半分なくなったみたいです。悲しみが深い分、主の慰めも大きく、これからのことも導いて下さると信じております。いつもありがとうございます。

8月10日の分かち合い

ネット会議
(8月11日 更新)
8月10日 (火) 10時から正午 
10名の自死遺族がズーム画面上に集まった。

初顔合わせの方々も。短く自己紹介した後、
3つのグループでフリートーク。
クリスチャンが多数ではあるが、そうでない方々も。
参加者の感想を紹介する。

・温かく迎えてくださっていつも感謝しております。

回数を重ねて自分の気持ちを出せるだけ出そうと思っています。

それが私にとては何よりの癒しに繋がるし私が癒されれば、
もしかして亡き妹にも何らかの影響があるのではと思っています。

今夏のように何度か機会を作っていただけたことありがたかったです。


・共に傾聴し、涙を流し、悲しみを分かち合える
この時間は貴重です。
ナインの会のメンバーは、このために神さまに選ばれ、
用いられていると会の参加を重ねるごとに思わされます。
今日も参加させていただきありがとうございました。

・色々なイベントが中止になる中、オンラインでの出会いは
貴重です。苦手意識を持つ方もいるけれど、なんとかこの操作
に慣れて、分かち合いに参加する遺族がもっと増えて欲しい。

・同じグループの方々の話に自分と共通するところを多々見出し、
初めて素直に涙を流せた。自分一人の中に密かに仕舞い込んで
いたので、心が固まってしまっていた。ありがとうございます。
貴重な時間でした。次回もよろしく。

・本日は参加させて頂きありがとうございました。気持ちを聴いて
いただけ楽になりました。スタッフの皆様にも宜しくお伝え下さい。

 

参加者の声(7月5日更新)

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・いつも礼拝だけの参加ですが、それでも皆さんに対面でお会いしていた時は、特にマイナス面を感じませんでした。しかしZoomの集いとなると、礼拝前後に皆さんと触れ合うこともなく、私にとっては礼拝の最初から終わりできっちりで終わりとなり少し寂しい気がしました。
 数ヶ月前でしたか、Zoom練習を数名で行った時に参加させていただき、その時は楽しかったです。皆さんとチャットしている感じだったからでしょう。Zoomでも、そうした時間が別途でもいいので少しあればうれしいです。


・6月19日ナインの会礼拝の、大塚牧師の説教の中で、ヨハネの福音書でのイエス様の「私の肉を食べよ」の「食べる」というお言葉が「ボリボリ音を出して食べる」という意味のギリシア語が使われているというお話が興味深く思いました。またご自身の自死現場に遭遇したお話と大切なおじさんの自死のお話しを祈りつつ、聴かせていただきました。

・グループ分けで、最初二人しか集まらず(他の人は迷子に?)その二人で分かち合いとは別の話題でのんびりと自然環境や食べ物のことで歓談しました。それがリラックスを誘い、無事に四人集まっても対面のように会話ができた気がします。笑いあっても心の底に寂しさや悲しさを共有している。そんな部屋が心に沁みました。自分の周りの空気のようなものがすっと軽くなる感じです。自分の周りの空気が見えない光のシャワーで綺麗になる感じです。良い時間を過ごさせて頂きました。
前回は六人グループでしたが、空気のタイミングを計るのがむずかしく、遠慮して全員がなかなか話し出せないという感じもありました。そんな時はリーダーが指名して下さってもよいと感じます。zoomに抵抗のある方も、一度ご家族やお友達と二人だけでなんでもない会話を試してみると意外に楽しくて気楽に参加できるようになるかもしれません。


・私を含め遺族がどんなにかつらく苦しい中を通ったことか。神様が同じ痛みを持つ者を特別な場に入れてくださった。最初はこの会でつらさが増すのではないかと危惧した。しかし主イエスが守り導き、全体を覆い、慰めておられると知った。共に涙し讚美し礼拝出来る。悲しみ苦しさは消えることはないかもしれない。しかし愛する家族が天の住まいにおり、地上の者とを繋いでいて下さる。聖書と主イエス様が中心なので安心できる。


・ゆったりとした時間の流れで、穏やかな心地よい時となりました。リラックスした分かち合いも良いですね。毎回、亡き息子との再会を再確認させられるメッセージを教派を超えた牧師が語ってくださることは幸いです。この会は神からの贈りものです「球根の中には」の讃美歌は初めて聞きましたが、大好きになり、YouTubeで聴きながら賛美しています。

・参加させていただき有難うございました。事前のご準備も大変なことだったと思います。お疲れが残りませんように。
 
・ウェブ上で繋がるメリットを体験しました。少人数での分かち合いで、皆様の困難や神様への思いをよく聴くことができました。自死の悲しみを中核として神様が一人ひとりを呼び集められ、その中心にイエス様がいるのがナインの会なのだとあらためて思います。

・神様に守られた時間を皆さんと共に過ごせました。最後までいられませんでしたが、短く自己紹介をしたり、み言葉の学びにあずかれたのは忘れがたい時間です。会を存続させてくださっている諸先輩に感謝。ズーム分かち合いがあればまた参加したいです。

・このような機会を設けてくださりありがとうございます。聖書を読むだけでは理解できない深い内容を、牧師先生の説教で拝聴できました。後日配信していただけるとのことありがたく存じます。6月19日の説教をお願い致します。


 *感想などを送りたい方は、こちらから どうぞ。
 編集後に本欄にアップいたします。

 

国内外から二十数名が分かち合い

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6月19日土曜日のオンラインの集いに
国内国外から20数名が集りました。


午前中は、全員の短い自己紹介に始まり、
5つのグループに分かれて分かち合いました。
ここにしかない密度の濃い時間でした。

 

午後の礼拝で説教を担当された大塚師は、
「いこいのみぎわ」という自死遺族の会
を岡山市で主催されています。

東京都多摩市で牧会中に遭遇した出来事から
お話は始まりました。

2010年11月28日、日曜日、礼拝の後、
所要で出かけた大塚さんは京王永山駅で電車を待っていました。
定刻の14時45分にプラットフォームに近づいた電車は、
異様な音をたてながら急停車。
その後の駅は、阿鼻叫喚の場に変貌しました。

翌日、新聞は81歳の女性の自死を報じました。
事件後、教会も地域で孤立する人々に
援助の手を差し伸べる方法はないものかと祈り、
具体的な手立てを模索しはじめます。

翌4月に、慕っていた叔父上の自死に遭遇し、
大塚牧師本人が自死遺族の当事者になりました。
以後、自死遺族に寄り添い、また孤独な人に寄り添う活動に
力を込めました。
現在の岡山に転任後も活動は継続し、今に至ります。


 

ヨハネ福音書6章52−59節を解き明かして下さいました。

今の私たちにとって難解な箇所ですが、
初めて聞いた弟子たちにとっても、
決してやさしい言葉ではなかったはずです。

「わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は永遠の命を得る」

ギリシャ語に「食べる」という動詞はいくつかありますが
ここでは「噛み砕く(トローゴー)」が使われます。

キリストの愛を自分のものとするまで、
「噛み締め、かみ砕く」ならば、
キリストを自分のものとすることができます。

愛する人は、目の前に居なくなり、生きている私たちが
もはや見たり、言葉を交わすことはできない。
しかし、その人が共にいることを感じ、思い起こしたりできる。
愛する者を失うことはつらいが、共にあった時の幸せを
思いだすと、愛おしい思いが溢れてきます。

キリストを天国に送った初代の信者も、イエスの日常の姿や
言葉をしっかり記憶に留め、宣教に務めたのでしょう。     
                         (世話人ー めぐみ)


当日の説教(20分)を希望者に配信します。
お申し込みは、こちらから 


 

説教『神の手当て』(大浜英樹)

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2021年5月22日
ルカ8章54-56節
 
私の母は、97年に自死しました。
死後、母はどうしているのかと心配しました。
その私を落ち着かせ、母を救うキリスト・イエス
がいます。
今日の聖書箇所に登場する人物も
イエス様を仰ぎます。
彼の一人娘が病で苦しみ、悪化して亡くなる。
そこにイエス様がいます。死のある世に。
人となられた神が共にいます。
悲嘆は重く、のしかかるところに。
イエス様が「起きなさい」と呼びかけ、
娘は生き返ります。
これを見て親は驚きます。
そこで知り得ることがあります。
まずイエス様は死ある所に人と共にいます。


人々は死を汚れだと信じます。
誰も汚れたくない中でイエス様は
遺体にも手を触れます。

ある住職が「神道で死者は汚れだと考える。
死者を見せないように神棚の扉を閉め、
半紙を貼り封印する」と教えます。

しかし聖書が教える真の神は人となって、死のある場にいます。
さらに遺体に触れます。54節で「手を」取ります。
悲しむ者のためにイエス様はそうします。
さらに自分自身も死へ向かいます。
私たちを愛するゆえ十字架も経験します。

また呪いある所にイエス様も共にいます。
人々は長寿が祝福だと考えます。
その一方で若くして死ぬことは良くないと考えます。
日本人もそれを厄と考えます。
しかし、イエス様は厄の中にもいます。
真の神の手当てをなすため、神のわざを現すために。

そして不完全な所にもイエス様は共にいます。
50節で故人の親は動揺しています。
彼は信仰者ですが現実の状況に打ちのめされます。
日頃「神を信じる」と告白しています。
でもそれが人の現実です。56節も「ひどく驚いた」とあります。
信じていない反応が表れます。

実は、新約聖書で死者の復活記事は3箇所ありますが、
全て人の不完全な言動が表れています。
信仰が見当たらないのです。
でもイエス様はそこにもいます。
神のわざを現すために。
全て彼の憐れみです。イエス様のおかげなのです。

人が激しい試練に遭う中でイエス様は
不完全な人々をも愛して共にいます。それがイエス様なのです。
今日はナインの会です。
私の場合は母の自死で絶望的になり、
「どうして」と神を責めました。家族をも。

全国自死遺族連絡会の方から様々なさらに過酷な事例があると
私は知らされました。
心の痛む中で親戚から批判され、警察から「事件か?」と疑われ、
世間も偏見で私たちを苦しめます。追いやられる私たち。
そこでイエス様を仰ぎたいと仲間が集まる。
それがナインの会です。

痛みがある中でも主を求めます。
初代教会のようで、新旧の教派はありません。
信徒も牧師の垣根もない。純粋にイエス様を求めます。
賛美とみことば、祈りを共にします。
お互いの経験を語り合い、痛みを共有します。
生きる希望と力を得るために。イエス様は間違いなくそこにいます。
イエスは私たちの味方です。私たちのために存在します。
彼は苦しむ者と密接なのです。

だから、これからもイエス様を求めましょう。
イエス様は人がどうすることもできない部分に
特別な手当てをしてくれます。
イエスを信頼しましょう。
 

 

参加者の感想(7月7日更新)

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・今回の5月のミニナインの会が、初めてだったのですが、どのような発言も否定することなく皆様耳を傾けてくださいました。表層的なことしか言えませんでしたが、癒やされるものもありました。今後参加を重ねていくことで深いことも表せるのかなと思いました。聞いたお話からも家族の自死を前にして、揺り動かされたことについて深く共感することができ、良い時間でした。
 気になった点としては、不慣れであったことやオンラインだったことから、タイミングやテンション、話すべき長さがわからず、落ち着かないまま話し始めなければいけなかったことです。でも、機会があればまた参加したいです。

 
・コロナ禍で娘のことを話す相手がなく気持ちが落ちていたので、このような分かち合いの機会を作ってくださって感謝です。
 
・兄弟姉妹を亡くした方がこれだけの人数、集まるのは
初めてだそうですね。互いがうんうんと頷き、時間があっという間でした。オンラインのおかげで遠くの方々とも知り合えて有難いです。いつか実際にお目にかかれたらいいですね
 
・遠方や体調不良の方でも自宅から参加できるとても良いツールです。一人ひとりたっぷりと時間をとり、分かち合いができて良かった。思いの丈を話されている様子が伝わってきました。このような痛みを話せるのはこの会ならではです。
 
・兄弟姉妹グループでは、良い時間をいただきました。いざ話し始めると、話がまとまらず、表層のことしか話せなかったのですが、それでも癒やされました。皆さんのお話を聴くことも、共感したり、信仰の面で色々考えさせられたりと、貴重な体験でした。
 
・兄弟姉妹を亡くされた方々と分かち合えたことは光栄でした。自分とは正反対の感じ方方もおられ、新しい体験でした。このような状況の中でこそ繋がれた貴重な出会いです。

オンラインのナインの会(2月20日)

足立智幸牧師のお話を伺って

 

「家族が自死した」という「事件」を背負って、「自死遺族」と
なって送った日々を思い返さない日はありません。
 時が経ち、世紀が変わり価値観が変わっても、この事実を黙って
背負いつつ遺族は日々の命を紡いでいます。

 

 オンラインで持たれた2021年冬の
「ナインの会」2月20日(土)午後1時からの礼拝で、
講師の足立牧師は「私の母は33年前に自死を
しました」と話し始められました。

 

 一人で、自宅のパソコン画面を見つめつつ、
私は「その時、先生はお幾つだったのかしら? 
どんなお気持ちで過ごされたのだろう? 
先生の辛さと驚きをしっかり支えて下さった方が
おられたかしら?」などなど、いろいろと想いが広がりました。

 

 長じて立派な社会人となられ、
家庭を築かれお嬢様にも恵まれました。

幸せな先生に起きた次なる事件は、
愛娘が自死を試みてしまったことでした。
母の自死と、時を経た娘の未遂は、
先生の生き方そのものを変える機会になりました。

 大きな決断をして、順調な社会人としての生活があり、
子どもを愛し、幸せな暮らしを送っていた人生から、
神様の御心へと大きく舵を切られました。

 教会へ行き、心を開いて道を求め、やがて献身を決意されました。
神学研鑽にはひとかたならぬ努力が必要だったでしょう。
それでも初志を貫いて遂に牧師になられました。

飾りのないお証しを伺いながら、
いつの日か、オンラインではなく、
直に教えを乞いたいと願わされました。

 

世話人 megumi 2021/2/23 

岡知史教授「自死遺族の悲しみと社会的活動」



上智大学教授 岡知史先生
「遺族の悲しみと社会的活動」
63分ほどの講演です

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